昭和35年(1960年)3月18日に入社した。
初任給は9200円、この会社毎月20日が給料日のため入社日の18日から月末までの分を日割り計算して、
初任給は9200円、この会社毎月20日が給料日のため入社日の18日から月末までの分を日割り計算して、
3月20日に4000円ほどが初月給だった。
二日間しか出勤していないのに、もう給料がもらえた。
これはありがたかった。
住まいは甲子園の独身寮に住み、国鉄甲子園口から淀屋橋の会社まで通った。
昭和35年に入社した頃、寮にはまだ洗濯機は備えられていなかったが、すぐに洗濯機が備えられた。
それで洗濯は近所のおばさんと契約して洗ってもらっていた。
会社の始業は9時15分、終業は4時15分で労働時間は6時間。(通勤ラッシュを避けて15分ずらせていた)
土曜日は9時15分から12時15分の3時間労働。(出勤したと思ったらもう帰る時間)
土曜日には午後必ず、神戸の伯父の家に遊びに行った。 伯父の家にはまだ“ねえや”がいる時代だった。
伯父の家では3才年下で甲南高校の従兄弟がおり、伯母からこの従兄弟に勉強を教えてくれと頼まれていたのが苦痛だった。
伯母はワタクシを秀才だと信じており、ワタクシは高校時代を遊んで暮らしたそのギャップ・・・。
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二日間しか出勤していないのに、もう給料がもらえた。
これはありがたかった。
住まいは甲子園の独身寮に住み、国鉄甲子園口から淀屋橋の会社まで通った。
昭和35年に入社した頃、寮にはまだ洗濯機は備えられていなかったが、すぐに洗濯機が備えられた。
それで洗濯は近所のおばさんと契約して洗ってもらっていた。
会社の始業は9時15分、終業は4時15分で労働時間は6時間。(通勤ラッシュを避けて15分ずらせていた)
土曜日は9時15分から12時15分の3時間労働。(出勤したと思ったらもう帰る時間)
土曜日には午後必ず、神戸の伯父の家に遊びに行った。 伯父の家にはまだ“ねえや”がいる時代だった。
伯父の家では3才年下で甲南高校の従兄弟がおり、伯母からこの従兄弟に勉強を教えてくれと頼まれていたのが苦痛だった。
伯母はワタクシを秀才だと信じており、ワタクシは高校時代を遊んで暮らしたそのギャップ・・・。
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