次男夫婦がケアンズの土産話を持って帰ってくれた。
夕食のひと時、SDカードでテレビを見ながら話が弾んだ。
彼らが旅行するとき一緒にとのお誘いがあったが、都合が折り合わず行けなかった。
次回グアムのお誘いを待とう。
夕食のひと時、SDカードでテレビを見ながら話が弾んだ。
彼らが旅行するとき一緒にとのお誘いがあったが、都合が折り合わず行けなかった。
次回グアムのお誘いを待とう。
「もとの木阿弥」ということわざがある。
岡田秀文作「賤ケ嶽」を読んでいて教えられた。
明智光秀が織田信長を討った頃の話、
岡田秀文作「賤ケ嶽」を読んでいて教えられた。
明智光秀が織田信長を討った頃の話、
「・・・順慶は大和の国、興福寺一乗院に属する有力国衆順昭の嫡子として生れた。
父順昭は一条院の衆徒を一つにまとめ上げ、その力をもって有力豪族たちを圧し、
大和一国をほぼ手中におさめた希代の英雄である。
しかし、順昭は順慶がわずか三歳の時に病死する。跡継ぎとなった順慶が幼少ゆえ、順昭の喪は秘された。
おりしも同国内に木阿弥という順昭と瓜二つの人物がいるとて、
おりしも同国内に木阿弥という順昭と瓜二つの人物がいるとて、
遺臣たちはこれを順昭の身代わりに仕立てて、順昭の健全をよそおった。
やがて順慶が順昭の名跡を継ぐに足る年令に達すると、役目を終えた木阿弥は、
筒井城を追われもとの生活に戻ったという。
この故事が、いったんよい状態になったものがまたもとのつまらないさまに戻ることをあらわす
「もとの木阿弥」という諺となり今に伝わっている。・・・」