母の忘れもの

軽度認知障害になった母の記録

訃報

2019-10-10 20:22:42 | 日記
母のいとこが亡くなった

男兄弟に囲まれて育った母にとって姉妹のように仲の良かった人だ

母の話では母方のいとこは新潟の人で、亡くなった人は三重県に、その人の妹は豊明市にお嫁にいった

実家から遠くに嫁いだ姉妹と近い地域だからと母は長い間気に止めていた
私も何度かお会いしたが気さくでしっかりした人だった

何年か前その方の旦那さんが亡くなり、去年突然母の元にその人から「病気になって病院代が払えないからお金貸してほしい」と電話があった

ずっと連絡がなかったその人からの借金の電話に認知機能の低下のある母は大変な拒絶反応を示した

その人の兄にあたる人に電話をして借金の申し入れがあったと連絡した母
それから母はその人に連絡することはなかった

私は何度も「そんなこと言うような人じゃなかったんだから精神的に病んでるのかもしれないよ
電話かけてあげれば?」と言ったが母は自分で確かめることもなく怒ってばかりいた

何度か話をしているなかでいつ確認したのかわからないけどその人の兄が「鬱だった」と言っていたそうだ

私は気になっていたが母は思い出すこともないまま今日まできた

そしてきた訃報

その人の兄から聞いたらしいが式場も日程もわからないまま
「死んだんだと」
と他人事のような顔

「え?いいの?行かなくて」
と言うと
「だってどうやって行くの?三重県まで一人では行けないし」

どこにでも一人で行けると豪語してた人のセリフとは思えない

「行けないにしても弔電打つとか何かできることがあるんじゃないの?そんな薄情にできる相手だったっけ?」
と言うと
ちょっとボーッとした感じで
「なんか、よくわからん」と言う

とりあえず私から新潟のその人の兄に電話をしてどう言うことか聞いてみると
その兄も高齢で認知機能低下もあり話がちゃんと理解できずその奥さんも無理だと言う
亡くなった人の婚家の本家か豊明の妹さんの息子さん夫婦に聞いてみてほしいと言われたので、母に豊明に電話をさせると妹さんの息子さんのお嫁さんが知っているがまだ帰っていないので帰ったら電話をしてくれることになった

母に家で電話を待って告別式の場所と日程を聞いてと言った

しばらくすると母が来て葬儀場の詳細をもってきたがまたもや
「どうするの~私こんなとこまで行けないもん」
と言う
「弔電打つんじゃないの?」
というと
「まあそれしかないわね」と言うので私がスマホで弔電を申し込もうとすると喪主の名前がないことに気づき
「もう一度豊明に電話をして喪主の名前を確認して115で電報を申し込んで」と手順をメモして渡した

1時間半ほどして母から電話がきて
「どうするの~私こんなとこまで行けないもん」
と言うので
「豊明に電話してないの?」
と聞くと
「してないよ、して何聞くの?」と言う
「手順のメモは?」
と聞くと
少し探して「あったよ」と

もう一度説明して「わかった」と電話を切ってから夜電話はもうなかった
弔電打てたのかと思っていたのに
早朝から電話が鳴り電話に出られなかった私が折り返しかけると
「何時にそっちに行けばいいの?」と言う
目が点になる
「は?何の話してるの?」と聞くと
「三重県連れていってくれるんでしょ?」と言う
「いつそんな話になったの?私は行けないって言ったじゃん
電報は打ってないの?」と聞くと
「打ってないよ、どういうこと?行かないの?私寝る前に喪服も香典も用意してあったから行くことになったのかと思った」と言い出す
どういうこと?はこっちセリフだ
私は用事がある
一緒に行くのは無理だ
母がその後うちに来た
昨日とは違うメモを握りしめている
「8時に出る」と書いてある
「なんならここからタクシーで三重まで連れてってもらえば?」と言うと
「そうだね、タクシー乗ればいいか」と同調した
マジで?と思ったら
「近鉄で三重まで行ってタクシー乗れば行けるよね」と言って
「はあ、行けるなら行ってみたら?」と言った
「困ったら電話すればいいからね、GPSで場所は確認できるからね」
と言うとちょっと不安そうに帰っていったがGPSを確認していたらなんとか葬儀場にはたどり着けたようだ
私は夕方まで出掛けていたが夕方うちに来た時会った娘は母は明るい顔していたと言っていたので私も安心した

まだその後会っていないのでまたゆっくりエピソードを聞こうと思うが
忘れているかもね

「一人でどこでも行ける」を有言実行できて母も少し自信を取り戻せたかもしれない