ゼロからのレコードレーベル

アメリカで日本人がゼロからスタートしたインディー・レーベル。純粋に音楽の楽しさを追求するレーベルの将来はいかに!?

著作権の登録

2007-07-21 00:09:46 | Weblog
アメリカで著作権を登録する場合、ワシントンDCにある
アメリカ議会図書館(Library of Congress)へ著作作品を送る。
音楽ではPA(Performing Arts)やSR(Sound Recording)の分類下に
なるが、この際の登録料が少し前に値上がりして、30ドルから45ドルになった。

もちろん上記の登録をしておいた方が無難だが、
少しでも安く、しかも有効的に行うなら、自分自身に対して
著作作品(CD、楽譜など)を郵送するやり方がある。
郵便が届いたら開封せずに保管しておく。
郵便物には消印が記されるため、立派な証拠となりうるわけだ。

ただBMI, ASCAPなどの音楽著作権管理団体では
作品を登録する際に著作権登録番号を聞かれたりするし、
確実な方法は、やはり先述の米国議会図書館での登録となる。

結構、手間のかかる作業ではあるが、
万が一にでも盗作されたことを考えると、
こうした著作権登録をしない訳にはいかない。

参照ウェブ: http://www.copyright.gov/

レコーディング

2007-07-18 00:46:43 | Weblog
イタリア人シンガーの依頼を受けて
先週からマンハッタンでレコーディングをしている。
プロデューサーは友人のアメリカ人で、今回は一曲のみの録音。

録音はスタジオというより居間を少し改造した部屋で行われ
ボーカルやギター以外は全て打ち込みやドラムループ、MIDIを使う。
よって余りレコーディングスタジオの雰囲気はない。

僕が弾いたギターも、友人が歌う唄も一旦録音すると
全てオーディオファイルとなり、
ピッチ修正、リズム修正などがコンピュータ上で可能になる。
そうした修正を繰り返すのであれば、録音し直した方が早いと感じる時もあるが、
それでも、ちょっとしたことなら画面上で処理した方が楽。
一部修正であれば、録音し直しても結果は大して変わらないだろう。

こうした作業を見ていると現代の音楽は
テクノロジーに『作られている』と感じることさえある。
それでも、作品の完成度や音楽性の高さは人間の耳や
確かな演奏に担う部分が大きいわけだし、
誰もが良質の音楽を作れるわけでもない。
やはり、名曲はコピー&ペーストじゃ作れないのだ。

寒いCD屋さん

2007-07-03 14:19:38 | Weblog
先日、タイムズスクエア(NYC)にあるヴァージンメガストアを覗いた。
以前は、タワーレコード、HMVと並んで良く通った店だったが、
最近はCDはアマゾンなどのオンライン購入がほとんどで、すっかりご無沙汰してた。

店はセールをやっていて、店内のほとんどのCDは一枚10ドルだった。
にも関わらず、店は妙に冷え込んでいる。寒い。
観光客であふれるタイムズスクエアだし
店にはかなりの数のお客さんがいるのだけど、妙に冷めてるし、
レジに並ぶお客さんはまばらだし、以前のような活気が全然感じられない。

その後、HMVがあった五番街(46丁目)にも行ったけど、
そこは玩具屋さんになっていた。
ここ数年はB&NとかBordersと言った本屋さんが
CDの販売をしているし競争も激化しているのだろう。
というほど、CDはもう売れなくなっちゃったのだけど...
いずれにしても、CDショップってのはなくなるんだろうなぁ。

印刷物の確認業務

2007-06-29 02:00:00 | Weblog
アルバムリリース前には様々な確認業務が必要となる。
その一つが印刷物。CDに収まるカバー、トレイカード、ディスクには、
合法的な文章の他に、歌詞や制作に関わった人とたちの名前が印刷される。

作詞家とグラフィックデザイナーは別人が多い為
作詞家が正しい歌詞を提出したつもりでも、デザイナーが間違えて
単語や文字を削除したり、不必要な文字スペースを作ったりすることもある。

歌詞カードのドラフトを丁寧に見ながら、収録曲を一曲ずつ聞いていく。
そうすると、そんな間違いが見つかる。驚く事に、2、3度確認して
もう大丈夫と思っていても4度目に見つかるなんてこともある。

よくCDの歌詞カードを見ながら曲を聞いていると
明らかに違う単語が記載されていたりするが、
これって、こうした確認作業が徹底していなかった結果なんだろう。
何事も『念には念を入れて』ということだ。

新人発掘とプロデューサー

2007-06-25 15:20:44 | Weblog
新人アーティストの発掘方法の一つがプロデューサーの推薦だ。
レーベルと名がつけば、未契約のバンドやアーティストたちは、
まず音源を送ってみようとするはずだが、大手レーベルになればなるほど
毎日、山のように送られてくるCDを聞く可能性は低くなる。

そこでレーベル側は、確かな有望株を見つけるやり方として
音楽プロデューサーと蜜にコンタクトを取り、
現在のレコーディング中のアーティスト情報を入手する。
キャリアを積んだプロデューサーの意見は貴重だ。
実際に、現在自分と繋がりのあるアーティスト達は
プロデューサーを通して知り合ったパターンが少なくない。

バンド時代に一生懸命ライブ活動をしていたが、
どんなにいいライブをしたところで、聴くべき人がいなければ話にならない。
それよりも、信頼できる有能なプロデューサーを見つけ、
デモを録音することの方が、レーベルに聴いてもらえる近道とも言える。






のっぼのおじさん:そして、これから

2007-06-16 04:12:10 | Weblog
自分がどのように音楽と出会い、何故今でも音楽を続けているのか。
今回はエッセー最終話「のっぽのおじさん:そして、これから」

自分にしかできないオリジナル音楽を追求しようと決めた僕は
他のメンバーに依存するバンド形体を避け、
自分が中心となり曲ごとに様々なゲストを迎えるという
固定メンバー不要のレコーディングプロジェクト
「MAR PROJECT」を誕生させた。
そして、スコットランド、ブラジル、イタリア人の友人らの協力を得て、
英、ポルトガル、イタリア語の三か国語が共存する
オリジナルアルバムが完成する。
さらにレコード会社を探す手間を省くため
自己レーベルを設立しアルバムをリリースした。

人の出会いは面白い。中学1年の夏、僕が会った
のっぽのおじさんは一言も言わなかったのに、
その後の僕の人生を決めてしまった。
彼との出会いから25年が経過したが、今も彼は無言のままだ。
しかし、国境を越え、言葉さえ無力にしてしまう
彼の音楽は今でも人々の心に響き続けている。
そんな音楽が作れたら、僕ものっぽのおじさんになれるのかもしれない。

おわり

のっぽのおじさん:ロックから音楽へ~ジャンルを越えて

2007-06-12 12:22:01 | Weblog
自分がどのように音楽と出会い、何故今でも音楽を続けているのか。
今回はエッセー第4話「のっぽのおじさん:ロックから音楽へ~ジャンルを越えて」

バンドがないとギタリストは寂しいものだ。
バンドに見切りをつけた僕は180度方向転換し、
一人でもできるクラシックギターを学び始めた。

そしてメトロポリタンオペラ、NYフィル、
アメリカンバレエシアターのシーズン券を手に入れ
3年間リンカーンセンターに通い、同時に日本の伝統音楽、
ワールド音楽までをも聴きあさり、音の世界は無限大に広がっていったのである。

しかし、そうこうしているうちに自分は
他人の音楽にばかり感動していることにふと気がついた。

つづく...

のっぼのおじさん:運命のいたずら

2007-06-11 02:17:28 | Weblog
自分がどのように音楽と出会い、何故今でも音楽を続けているのか。
今回はエッセー第3話「のっぼのおじさん:運命のいたずら」


ティーンエイジャーの頃はロックとバンド活動に没頭したが、
音楽を続けるにつれ外国への思いが募っていった。
22歳になった僕はついに5ヶ月にわたる
米国横断、欧州縦断の海外一人旅を体験する。

世界に魅了された僕は次に25歳までに海外進出をと目論むが、
24歳の時に思いもしない人生の転換期を迎えることになる。結婚である。

運命のいたずらか、僕のバンドのライブを見たという女性と初めてデートをした僕は、
その日から4ヶ月後には彼女と入籍し、8ヶ月後には米国に再上陸していた。
新居は妻が生まれたニューヨークである。

新しい生活に慣れる間もなくロックバンドに参加した僕は、
怒濤のライブ活動、さらにバンドは当時全米No1ヒットを出した
某バンドのプロデューサーとレコーディングする機会に恵まれ
ミニアルバムを完成させる。

うち一曲は全米でリリースされたオムニバスCDにも選曲されたが、
そう簡単に話は進まない。予期せぬバンドの崩壊が訪れた。

つづく...

のっぽのおじさん:異邦人の正体~ロックバンドの結成

2007-06-09 23:27:48 | Weblog
自分がどのように音楽と出会い、何故今でも音楽を続けているのか。
今回はエッセー第2話、
「のっぽのおじさん:異邦人の正体~ロックバンドの結成」です。

それから間もなくしてロックに目覚めた。
そして、秋の学園祭で先輩が弾くエレキギターを見て愕然とする。
「教科書には世の中にこんなカッコイイものが存在するなんて一言も書いてなかった。」
そう呟いた僕は、クリスマスプレゼントにエレキギターを買ってもらおうと心に決めた。

年の瀬が迫ったある日、夕刊にのっぽのおじさんの記事が掲載された。
凶弾に倒れこの世を去ったのっぽのおじさんとは、何とジョンレノンだったのである。
さらに僕が学園祭で聴いた曲はビートルズのレットイットビーだったことがわかった。

エレキギターを手に入れた僕はすぐに猛練習を始めた。
そしてビートルズのポスターを見てバンドがやりたくなったが、
当時外国のロックを聴く同級生は皆無。
ドラム、ベースができる奴などもちろん居なかった。
となると方法はひとつ、脈がありそうな奴を説得し楽器を始めさせることだ。
時間はかかったが、中学2年で念願のバンドを結成した。

つづく...

のっぽのおじさん:異邦人との出会い

2007-06-08 00:10:24 | Weblog
以前、自分がどのように音楽と出会い、どうして今でも音楽を続けているかを
エッセーに綴ったことがある。今回はそのエッセーをいくつかに分けて紹介しよう。

「のっぽのおじさん:異邦人との出会い」

名古屋で生まれ育った僕が、何故ニューヨークにやって来て、
今でも好きな音楽を続けているのかと言えば、
それはのっぽのおじさんとの出会いがあったからである。

中学1年の夏休み。
僕は両親の友人宅を訪問がてら家族と軽井沢に滞在していた。
そんなある日、兄がある特ダネを聞き入れにわかに興奮し始めた。
どうやら外国人スターが近くのホテルに滞在しているらしい。
兄貴の後をひょこひょことついていった僕は
ホテルから出て来たのっぽのおじさんと出会った。

生まれて初めて間近で見る外国人だったと思う。
兄は狂喜乱舞していたが、僕の目には単に背の高い異邦人にしか映らなかった。
それでも、何と書いてあるかわからない彼のサインを見て、
僕は未知の世界を垣間見ていたような気がする。

つづく...