ゼロからのレコードレーベル

アメリカで日本人がゼロからスタートしたインディー・レーベル。純粋に音楽の楽しさを追求するレーベルの将来はいかに!?

任しちゃいけない

2007-05-29 20:27:59 | Weblog
インディーズや自費出版をするアーティストは
リリース前の確認を全て自分たちでやらなくてはいけないし、
怠って問題が起これば、それは自分たちの責任となる。
プロデューサーでも製造会社の責任でもない。

当たり前のことだが、制作中は色々なことで頭が一杯になる。
従って、ついつい大事なことも人に任せてしまう。

最近、僕は某女性シンガーのアルバム・デザインを担当した。
彼女は大金を費やしてレコーディングをし、
プロデューサーにミックスダウンとマスタリングを任せたらしい。

彼女はシンガーだが、今回のリリースは自費出版のため
僕との打ち合わせやCDの製造会社への注文の手配などで駆け回らなくてはならなかった。
近々、自分のライブがあるということで、それにも絶対に間に合わせたいらしい。

僕はデザインを終え、彼女もオーダーを済ませ、
ライブの前日にCDは無事完成した。
しかし、時間がなかったことも手伝って、
彼女は無謀にも音源の確認をせずに注文したらしい。
出来上がったCDを聴いてみると、
曲順は違う、ミックスは良くないと散々な内容だった。

自腹を切って作る大切なアルバム。時間がなければ、
リリースを遅らせても入念な確認は自分でするべきだった。

僕も以前、リリース直前にマスター音源を確認していたら、
ミックスダウンの時には入っていなかったのに、
曲の最後の方に小さな音で、エンジニアと僕の会話が紛れ込んでいた。
そう、最後の最後まで何が起こるかわからない。

99セントの愛

2007-05-26 04:25:33 | Weblog
一般的にもCDのセールスは下降線を辿る一方だが、
かと言ってダウンロードの売上が急上昇しているとも思えない。
消費者にしてみれば、気に入らない曲が収録されているアルバムを買うよりは、
好きな曲だけ購入できるダウンロードは無駄がないと言えるだろう。

ただ、曲ファイルの複製が簡単に出来てしまう点は
レーベルとしてもアーティストとしても頭が痛い。

99セントくらいでケチケチするなよ、と消費者からは言われそうだが、
みんながコピーをして友達に配布し始めたら制作側の収入は激減する。
そして、もちろんアーティストの収入も比例して減少する。

良質の音楽をクイエイトできるアーティストは少ない。
そんな優秀な人たちの生活を脅かすとしているのであれば、
コピーはできるだけ控えたい。せめて、心を豊にしてくれる音楽に
出会った時くらい、99セントの愛(サポート)をあげたいものだ。

できることから始める

2007-05-24 06:49:03 | Weblog
最近は、お金さえ出せば、様々なサービスを利用して
自分たちを宣伝することが可能になった。便利この上ない。
例えば、ラジオプロモーションを請け負ってくれる会社、
CDを委託販売してくれるCD BABYのような会社。
ただ、こうしたところには手数料を払わなければならない。
世の常だが、便利の代償はお金である。

ただ、世の中にはお金がないアーティストやバンドも多い。
だから、少しでも自分たちの存在を知ってもらうために
自力のプロモーションを可能な限りやっておきたい。

ウェブサイトを立ち上げるのも一つの手だが、
運営コストや手間を考えると今ひとつ。
無料なら、MySpace、youtube、ブログがてっとり早い。

レーベルでも、音楽関係者も、これらの媒体を意外と見ているし、
どこで、誰の目に留まるかは全く予想がつかない。
開設した次の日には、世界中からメッセージが届くかもしれない。

信頼関係

2007-05-19 16:16:54 | Weblog
レコードレーベルを運営していく上で大切なのことは、
各分野のプロや会社と健全な関係を保つことだ。

アルバムをリリースする為のプロセスは全てやったし、関わった。
作詞、作曲、唄、演奏、レコーディング、
プロデュース、アルバムのジャケットデザイン、
著作権登録、BMIなどの管理団体などの登録、プレスなど。

でも一通りやってみて、大切なことは自分で全部やることではなく
その分野の信頼できるプロたちと友好な関係を保つことだと感じる。

その為には、お金を払って仕事をしてもらうだけではなく、
仕事のない時でも連絡を取ったり、また、友達を紹介したりして、
そういうプロたちと仲良くしておく必要がある。
こっちの都合のいい時だけ御願いしても、相手は余りいい顔はしない。

レコード会社は一枚のアルバムをリリースして終わる訳じゃなく、その連続。
いかに優れたプロたちと親密な関係を保つかは会社の将来を大きく左右する。

1曲の重み

2007-04-12 16:24:08 | Weblog
昔に比べて1曲を聞く頻度や比重が軽くなった。
これは単純にアーティストが増え、発表される曲が増えたのもあるが、
音楽が信じられないくらい手軽に入手できるのも理由の一つだろう。

僕が音楽を聞き始めた1980年代初頭は未だレコードの時代。
その頃は未だ中学生で、おこづかいやお年玉を一生懸命貯めても、
月に買えるレコードは1枚あるかないかだった。
後は、数少ないFMラジオの洋楽番組を聞いた。
ラジカセの前で興味のあるアーティストがオンエアされるのを待って、
カセットに一曲、一曲、丁寧に録音していったものだ。
当時は、未だレンタルレコードさえなかったし、洋楽を聞いていた同級生も皆無。
情報源はミュージックライフやヤングギター等の音楽雑誌。

だから、好きな曲が見つかると何度も何度も繰り返し聴いた。
『レコードが擦れ切れるくらいまで...』
デジタル時代の現在、こんな表現も死語になってしまったが。


コピーできないロック

2007-03-29 14:44:24 | Weblog
初めてアメリカ大陸に上陸したのは1989年5月10日のこと。
22歳だった。放浪の旅である。
サンフランシスコを皮切りに最終地点のニューヨークまで3ヶ月間
自分の足で歩いて、目で回った。とにかくでかい。
カルチャーショックとは、このことか。

ギターも持たずやってきたが、すぐに我慢できなくなって
サンフランシスコで即アコギを購入。公園でギターを弾いて
地元のミュージシャンと一緒に演奏を楽しんだ。

そして、ロスアンジェルスで日本人ロッカー、マサさんという人に出会い、
オープンステージでジャムセッションをした。周りのメンバーは初顔合わせのアメリカ人ばかり。
アメリカのステージに立った時はさすがに舞い上がった。
しかし、雲の上の存在とさえ思っていたアメリカ人も、所詮、僕と同じ人間。
ミュージシャン同士には共通言語さえ必要ない。
自分の中で、アメリカとの境界線がなくなった。

それにしても、12歳の時に「スモークオンザウォーター/ディープパープル」を聞いてロックに目覚め、
中学の音楽祭で先輩が弾く「レットイットビー/ザ・ビートルズ」のギターソロを聞いて、
エレキギターに飛びついた自分が、まさか10年後にアメリカのステージに立っているとは
僕自身想像できないことだった。

何を弾いたかも覚えていないし、スリーコードのブルースセッションだったと思うが、
ロックを生まれて初めて体感した気がした。レコードを通して日本で聞いていたロックではなく、
360度どこを見回しても、吸い込む空気まで、ありとあらゆるものがロックだった。

土壌の違いを痛感した瞬間でもあった。そして僕はロックとは実はジャンルのことではなく
アメリカそのものだと言うことを知った。ロックはコピーできないのだ。

オンラインショップ

2007-03-15 16:52:25 | Weblog
レーベルだけではなく、音楽出版社もオンラインショップもやってる。

CDはクレジットカード決済を始めたら、少しずつ売れるようになってきた。
今の時代、クレジットカードがなきゃ売上げは激減だ。

ただ、この世界は競争が激しい。
Amazonなどの大手には手も足も出ない。

だから、他のショップにはないオリジナル商品でカタログを
充実させていく必要がある。他の店にないもので良質の音楽CDが
集められれば少しずつお店の認知度は高まるはず。

ショップ経営の楽しみの一つは30秒ほどのオーディオクリップを作る時だ。
曲のどこの部分を聞かせれば、お客さんが欲しくなるのか。
おいしいところばかり出さず、もう少し聞きたいと思うようなところで
フェイドアウトさせちゃう意地悪もテクニックの一つ。

でも、買ったお客さんをガッカリさせてはいけない。
お客さんに信頼されるお店にしたい。
いずれにしても、ダウンロードの時代にCDを売るのは容易いことじゃない。

ブログ開始

2007-03-11 05:55:46 | Weblog
ロックに目覚め、ギターを始めたのが12歳の時。
バンドを始め、作曲を始めた。
外国に憧れ、海外に出て、世界が広いことを知り、25歳でアメリカへ移住。

アメリカ人とロックバンド。楽しかったがリーダーの一存で解散。
一人になった僕はクラシックギターを学んだ。そう、音楽は一人でもできる。

2000年、ソロプロジェクトの構想が生まれ、レコーディングを開始。"MAR PROJECT" と名付けた。

作詞、作曲、ボーカル、アレンジなど慣れないことを全部体験し、デビューアルバムを完成させた。
できたはいいが、リリースしてくれるレコード会社がない。探すのが面倒で自分のレーベルを始めた。
会社を"Mar Creation" と命名した。

全てはゼロから始まった。レーベルは今年で5年目だが、まだまだ弱小レーベルの域から脱していない。ただ続けなければ大きくもなれないし、未来もない。今できることに全力を注ぐしかない。歩き続けていけば、いずれ一本の道ができるだろう。