戦前のような暗黒政治の再来を憂う(2015年6月15日付け小生からの訴え)
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本日、友人からの問いに対し、小生の考えを書き留めて送ったメールから、(若干の修正の上)紹介させていただきます。
ところで、昨今の日本の政治についてですが、「右傾化」の背景として、やはり国民生活の展望のなさがあると思います。それが怒りとなって政府に向いていないのが、西洋などにはない、この国に特徴的なところです、
若者のかなりの部分は、投票に行きません。政治向きの発言をすることも稀だと感じています。若い皆さんの多くは政治的におとなしいこともあるでしょうが、毎日の生活に力を消耗しているのではないだろうかと心配です。中高年は、私も含めて、これからどうなるのだろうと、不安だらけの、落ち着かない日々なのではないでしょうか。
妻君が先日、わたしにこう問いかけてきました。
「おとうさん、どんどん世の中が重苦しくなっていっているような気がする?」
どう答えてよいものか、私も同感ですが、さしあたり、「この安保法案にはちゃんと反対だという声を出していかないと」と、自分にも傍観はゆるされぬと言い聞かせたところです。
なにぶん、いま政権の人達は、大体が戦後生まれですから、実際は、戦争の恐ろしさがわかっていない人が大半なので、今回の立案者も、ろくろく論究していない論理や、官僚があれやこれやして造ったその場しのぎの見解をおうむ返しに答弁しているに過ぎません。そのいい例が、1959年の砂川判決をして、あれは集団的自衛権を否定していないと言い張っている高村氏とかですね。そこで集団的自衛権を名指しで否定しないからといって、そこで問題になっているのは「個別的自衛権」だから、あえて触れないのは当然のことではありませんか。ちなみに、同判決は「わが国が、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べているところです。ついては、ここであえて、自分たちだけにしか通用しない論理を振り回すのは、いかがなものでしょうか。
彼とか、安部氏とかは、自分が戦場で「敵」と命をかけて向かい合うことは決してないから、べらべらと口が軽いのではないですか。この点は、自民党の古株の人達の方が全体としてまだましな見解を表明しておられます。与党の一翼を担っておられる公明党も、随分と変質していっているように感じられます。自民党の有権者も、どうも今回の破天荒な法案の話を聞いてはいるのだが、ちんぷんかんぷんのようですね。
原発もそうですが、先の事の責任は持て無いけど、ともかく先に進めさせてくれ、と言い張っているように感じられます。それと、サムエルソンいう経済学者が、昔、昨今は「寝た子をおこすな」みたいになっているのだと、呟いていたようでしたが、今回の事も、政府は、国民に事の本質を考える余裕を与えることなく、法案を通したいのが本音ではありませんか。こんな風に、「立憲主義」(憲法を頂点とする法律による行政の原則)に挑戦するところの、ファッショ的法案でも国会で通してしまえば、国民相手に無力感を与えることができます。そうしたら、憲法改正の発議も時の政権の政治的思惑を以てしてよい環境が生まれるかもと。このような安倍政権の姿勢は、私たち国民を見下すものであって、かつての日本が軍靴に踏みにじられた記憶が沸々と蘇ってくるのを禁じ得ません。
全体的に、今の日本は、このままではだめになっていくと感じています。考えなくなっているからです。意見というものは、まずは個の中で形成され、それから民主的な手続きを経ながら全体に広めていくべきものであって、その逆ではありません。全体として、日本は先の大戦の総括がきちっとできていません。それだから、近隣諸国と未だに真の和解ができないでいるのです。
私としては、私も含めて、みんなが政治家にだまされないだけの、ちゃんとした政治、経済、社会の知識を持つことから始めることが大事だと思っています。そのために、さしあたって、自分の微力を尽くすしかないので、それを自分なりに取り組んでいるところです。特に、ネットで閲覧してもらえるようにしておけば、有用な情報なら、心ある方々に何か参考にしてもらえそうな気がしています。もちろん、自分は世論の大海の一滴に過ぎません。その立場にて、これからも切磋琢磨、日本を少しでもよくするために、学んでいくつもりでおります。
みなさんとともに、この国の主権者の一人であることを誇りに思っています。
以上です。
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本日、友人からの問いに対し、小生の考えを書き留めて送ったメールから、(若干の修正の上)紹介させていただきます。
ところで、昨今の日本の政治についてですが、「右傾化」の背景として、やはり国民生活の展望のなさがあると思います。それが怒りとなって政府に向いていないのが、西洋などにはない、この国に特徴的なところです、
若者のかなりの部分は、投票に行きません。政治向きの発言をすることも稀だと感じています。若い皆さんの多くは政治的におとなしいこともあるでしょうが、毎日の生活に力を消耗しているのではないだろうかと心配です。中高年は、私も含めて、これからどうなるのだろうと、不安だらけの、落ち着かない日々なのではないでしょうか。
妻君が先日、わたしにこう問いかけてきました。
「おとうさん、どんどん世の中が重苦しくなっていっているような気がする?」
どう答えてよいものか、私も同感ですが、さしあたり、「この安保法案にはちゃんと反対だという声を出していかないと」と、自分にも傍観はゆるされぬと言い聞かせたところです。
なにぶん、いま政権の人達は、大体が戦後生まれですから、実際は、戦争の恐ろしさがわかっていない人が大半なので、今回の立案者も、ろくろく論究していない論理や、官僚があれやこれやして造ったその場しのぎの見解をおうむ返しに答弁しているに過ぎません。そのいい例が、1959年の砂川判決をして、あれは集団的自衛権を否定していないと言い張っている高村氏とかですね。そこで集団的自衛権を名指しで否定しないからといって、そこで問題になっているのは「個別的自衛権」だから、あえて触れないのは当然のことではありませんか。ちなみに、同判決は「わが国が、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べているところです。ついては、ここであえて、自分たちだけにしか通用しない論理を振り回すのは、いかがなものでしょうか。
彼とか、安部氏とかは、自分が戦場で「敵」と命をかけて向かい合うことは決してないから、べらべらと口が軽いのではないですか。この点は、自民党の古株の人達の方が全体としてまだましな見解を表明しておられます。与党の一翼を担っておられる公明党も、随分と変質していっているように感じられます。自民党の有権者も、どうも今回の破天荒な法案の話を聞いてはいるのだが、ちんぷんかんぷんのようですね。
原発もそうですが、先の事の責任は持て無いけど、ともかく先に進めさせてくれ、と言い張っているように感じられます。それと、サムエルソンいう経済学者が、昔、昨今は「寝た子をおこすな」みたいになっているのだと、呟いていたようでしたが、今回の事も、政府は、国民に事の本質を考える余裕を与えることなく、法案を通したいのが本音ではありませんか。こんな風に、「立憲主義」(憲法を頂点とする法律による行政の原則)に挑戦するところの、ファッショ的法案でも国会で通してしまえば、国民相手に無力感を与えることができます。そうしたら、憲法改正の発議も時の政権の政治的思惑を以てしてよい環境が生まれるかもと。このような安倍政権の姿勢は、私たち国民を見下すものであって、かつての日本が軍靴に踏みにじられた記憶が沸々と蘇ってくるのを禁じ得ません。
全体的に、今の日本は、このままではだめになっていくと感じています。考えなくなっているからです。意見というものは、まずは個の中で形成され、それから民主的な手続きを経ながら全体に広めていくべきものであって、その逆ではありません。全体として、日本は先の大戦の総括がきちっとできていません。それだから、近隣諸国と未だに真の和解ができないでいるのです。
私としては、私も含めて、みんなが政治家にだまされないだけの、ちゃんとした政治、経済、社会の知識を持つことから始めることが大事だと思っています。そのために、さしあたって、自分の微力を尽くすしかないので、それを自分なりに取り組んでいるところです。特に、ネットで閲覧してもらえるようにしておけば、有用な情報なら、心ある方々に何か参考にしてもらえそうな気がしています。もちろん、自分は世論の大海の一滴に過ぎません。その立場にて、これからも切磋琢磨、日本を少しでもよくするために、学んでいくつもりでおります。
みなさんとともに、この国の主権者の一人であることを誇りに思っています。
以上です。
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