新420『岡山の今昔』岡山人(19~20世紀、宇野弘蔵)

2021-12-15 17:14:03 | Weblog
420『岡山の今昔』岡山人(19~20世紀、宇野弘蔵)

 宇野弘蔵(うのこうぞう、1897~1977)は、マルクス経済学者の大家だ。倉敷の生まれ。
 1921年に、東京大学経済学部を卒業する。 1922年には、ドイツへ留学をはたす。ベルリン大学では、早くもマルクス経済学の研究を行っていたようだ。
 その頃からか、社会主義の科学的な基礎づけに並々ならぬ情熱を傾けていたという。1924年に帰国すると、東北大学法文学部助教授となる。経済政策論を担当する。1936年には、「経済政策論」を手掛ける。

 1938年に起こった第2次人民戦線事件に連座して検挙される。起訴されるも、無罪。学問一途のため、罪が晴れるのは早かったのではないか。
 それでもマルクスというだけで、「赤だ」云々と差別される暗い時代であり、 1941年には同大学を辞す。
 戦後になっての1947年には、東京大学社会科学研究所教授となる。 それからは、研究に拍車がかかったようである。定年退官の後は、1968年まで法政大学社会学部教授を務める。

 この間では、著書多数。英訳されているものもあるという。まずは、マルクスの「資本論」の展開、述べ方には、異議を唱えた感があろう。印象では、自己完結型の「価値論」の説明を披露した。それらは、他のマルクス派と比べ、独創的でもある。
 一般によりわかりやすいものでは、「資本論入門」 (1949) や「経済原論」 (1952) 、それに「恐慌論」(1953)がつとに著名かつ影響も大きいのではないか。
 中でも、恐慌論は独特な言い回しにて、なかなかに込み入っている。
本題に当たる第2章でいうと、まずは「利潤率と利子率との衝突」を立て、その中では「資本の蓄積の増進に伴う利潤率の低下」から「最好況期における利子率の高騰」へ、さらに「いわゆる資本の欠乏」へと進む。

 参考までに、景気の上昇局面において、労働力供給と労働需要の不均衡の累積があるとした上で、マルクス経済学者の置塩信雄は、資本がどのようにしてその繁栄を未来へ繋ごうとするかに触れ、こう述べている。
 「このような説明に対して、労働需要が増大し、産業予備軍を吸収してゆくにつれて、労働市場の需給が緊迫し、貨幣賃金率が上昇する結果、利潤率の低下、それによる旧来の生産技術で操業する資本の破壊、また全体としての蓄積需要の減少が生じ逆転するという異論が出されるかもしれない。事実、このような考えを基礎において恐慌論を組み立てている人びとがある(宇野理論)。
 しかし、貨幣賃金率の上昇は、直ちに搾取率、利潤率の低下となるわけではない。問題は、貨幣賃金率が諸商品価格に比して上昇するかどうかである。すなわち、諸商品で測った、実質賃金率の運動が問題である。ところが、資本家の蓄積需要が加速的に増加している場合には、諸商品で測った実質賃金率の上昇率は、労働生産性の上昇率より必ず下回る。別言すれば、搾取率は必ず上昇する。それゆえ、上昇局面では、蓄積需要、搾取率、労働需要はいずれも累積的増大をみせる。」(置塩信雄「マルクス経済学2資本蓄積の理論」)


 次いで、「資本の過剰と人口の過剰」を立てる中では、「労働賃金の限界」から「商品の過剰としての資本の過剰」へと行き、さらには「豊富の中の貧困」をどこからか引用してくる。

 三番目には、「資本価値の破壊」ということにて、好況過程の締めくくりをなし、第三章の「不況」の分析に移る。

 このあたり、19世紀の20年代から60年代にかけてのイギリス資本主義を中心におく、「純粋資本主義」のカテゴリーを典型的だと見る。

 二つ目を述べておこう。こちらについては、例えば、次のように紹介されている。 「宇野は、マルクスに学びながらマルクスとは異なる経済学体系を構築した。彼によれば、経済学が原理論・段階論・現状分析からなる3層分析の体系でなければならない。現状分析は各国経済の現状の特殊性を分析する経済学の最終分野であり、段階論は資本主義の段階的発展を各段階を主導する典型国・典型資本の蓄積様式をタイプとして解明する経済学の中間分野であり、原理論は、「純粋な資本主義」の経済的仕組みを完結体系として(永遠に繰り返される円環体系として)説く経済学の基礎理論的分野である。宇野の業績はこの最後の原理論を独自に構築したことにある。(中略)だが宇野原理論の最大の泣き所は「価値法則の論証」に成功していない点にある。」(高須賀義博「鉄と小麦の資本主義」世界書院、1991)

 これにあるように、彼の経済学では、資本主義研究の範囲を、原理論、段階論、それに現状分析の3段階に分けて論じるのが特徴的だ。これは、一見用意周到にして、しかし、そのように論じる割には、現状分析は後回しにされる感じを否めない。

 これなどは、宇野個人の責任とは別の話にちがいない。総じて、いわゆる近代経済学派が現状分析の中から、あたらしい境地、さらなる課題を見いだしていったのにくらべ、マルクス派は全体として幾らか水を空けられていったのではあるまいか。


 さらに一つ、宇野自身が1969年に自らの立場を吐露したことがあり、それには、彼の率直さが見てとれる。

 「私は長い間「資本論」の研究に従事してきているので、多くの人々からマルクス主義者と考えられているかも知れないのですが、私自身は自分をマルクス主義者とはもちろんのこと、広い意味での社会主義者とも考えたことはありません。」(宇野弘蔵「資本論の世界」岩波新書、1969)
 ともあれ、宇野についての最大の課題としては、学問的にどのような批判にも耐えうるだけのマルクス学の基礎を打ち立てたかったのであろう。
 
 それと、宇野の業績にもう一つ加えるべきなのは、「宇野学派」と称せられるような学者のグループを育てたことではないだろうか。(かくいう筆者も、ゼミナール形式の「資本論研究」(全5巻)を所蔵していて、時に参考にさせてもらっている。)
 1990年代ともなれば、大学教育におけるマルクス経済学派の退調はなはだしく、「マルクスはもう古い」という世論の中でも、その伝統を守ろうとする一つの壁をなしてきたのであろう。

(続く)

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