バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1996年6月29日(土)

2024年10月05日 | 1996年
6月29日(土) 
 梅雨の晴れ間に奥多摩にいく。午後からは弟と待ち合わせなので、その時間までには帰ってくるつもりだ。
 8時45分、出発。
 約2時間で奥多摩湖畔。しばし、休息してOKちゃんの生まれ故郷、丹波山村まで走る。約20分。谷間にある静かな集落。川まで下りて、しばし川のせせらぎに耳を澄ます。どことなく空気が冷たく、気持ちいい。

 もっと奥に行きたいのを我慢して、東京へUターン。2時20分ごろ帰宅。
 この日は往路で、青梅街道で乗用車が大型トラックの荷台に突っ込んでいる事故と、奥多摩の入り口(青梅をちょっといったところ)でバイクがカーブでふくらみ過ぎて、対向車に接触した事故現場を目撃――警察の事故検証中。
 本日の走行距離、約150キロ。今までのトータル走行距離、約750キロ。

 弟と板橋で3時半ごろ落ち合って、明治通りを浅草までいき、焼き肉屋で誕生会。味はいまいちだったが、カルビはうまかった。そのあと池袋までバスで帰り、カラオケ。午前2時ごろまで歌いまくり、そのあと弟は友達の送別会。ワシたちはタクシーで練馬まで。途中、上板橋の「孫悟空」でラーメン食う。桂花で修業でもしたのだろうか、味が似ているが、ターロウメンの肉は表面が少々固い。


1996年6月25日(火)

2024年10月04日 | 1996年
6月25日(火)
 富士銀行中野支店にいくつもりで、新青梅街道から環7に出たまではいいが、青梅街道を気がつかないまま通り過ぎ、方南通りを通り過ぎてからようやく、次の通りを左折。しかし教えられた場所には銀行はない。そのあたりを周回するが、午後3時になろうとしたのでやむなく帰宅。あとでわかったが、銀行は山手通りと環7の中間なのに、中野通りと環7の間をうろうとしていたようだ。



1996年6月23日(日)

2024年10月03日 | 1996年
6月23日(日)
 午後からIEちゃんの実家から送ってきた海のもので宴会の予定。1時くらいまでに帰ってくるつもりで、8時ごろから武蔵境通りから南に下り、多摩川沿いを走りにいく。結局、向丘遊園やらあのあたりを周回。宮崎台などはかなりの変わりよう。まるで別の場所のように感じる。帰りに大泉学園でトウモロコシのもぎたてを買うが、そのあと道に迷う。保谷付近を2、3周したあげく、スーパーの駐車場で道を聞く。まるっきり正反対に進んでいた。

 3時くらいから五人で飲み始め、あとで阿佐ヶ谷からKUNIちゃんがきて、10時頃までうるさいほどしゃべくりまくる。

(後日談・この日食べた生もの――マス、アマエビ、イカ、ハタハタ、貝等など――が何人かにあたったらしく、カミさんは1週間も仕事を休むはめになる――月曜日、朝6時半ごろ日大病院まで自転車に乗せて、ふうふういいながら連れていく。結局、点滴を2時間ほど受ける。後日、検査技師をやっている義姉の話だと、腸炎ビブリオじゃないかという。

 弟も2、3日は調子が悪かったが、酒を飲んだときは腹がゆるくなるので、そのせいだと思っていたらしい。それと風邪をひいているのかもしれないと、ユンケルなどを飲んで仕事にいっていたらしい。病弱のIEちゃんも1日だけ仕事を休んだという。ワシはどうもなかった。大腸菌OI57の騒動もあることだし、梅雨時の生ものには十分気をつけねば……)



1996年6月11日(火)

2024年10月03日 | 1996年
6月11日(火)
 弟から借りていた《アポロ13》を返しにいこうと用意していると、会社にいる弟から電話がくる。タバコを買う金もない。ビデオをもってくるついでに、できたら米をもってきてくれないかと要請される。米となけなしの1000円。スパゲティ、インスタントラーメン二ヶを滝野川までもっていく。


6月12日(水)
 救援物資を持っていった話をカミさんにすると、カレーでももっていけと大量につくったので、さっそく今日も救援物資を運搬。カレー、タバコ、トマトなどを留守の北区滝野川方面に投下。弟の経済破綻原因はパチンコで大金(4万くらいか)をすってしまったのが原因。どうやらPCパチンコ台は、人の欲望を底無し沼に引き込む魔力を秘めているようだ。おそるべし。
 しばらく弟の部屋で休み、そのあとどこか行こうかとも思ったが素直に帰宅。(その夜の電話によると、弟はカレーを見て、最初、ミソだと思ったらしい)

6月16日(日)
 いい天気。志木までいき荒川河川敷に下りて、あたりをぶらぶら。



1996年6月9日(日)

2024年10月02日 | 1996年
6月9日(日)
 午前、北区に住んでいる弟をバイクで迎えにいく。
 環7を17号で右折しなくてはならないのに、気がつかずにそのまま通過。王子から右折して本郷通りにでるが、結局、中里、田端あたりを迷ってうろうろする。地図をもってこなかったので勘で進むが、ますます迷ってくる感覚。山の手を越える坂道発進で、ものすごくエンジンを吹かしてしまい、多少びびる。後についていた車は、すぐに未熟者だと察してかバックしていた。その後、不安になり親切そうなおじさんに道を聞く。結局近くまできていることが判明。別に関係ないが、そのおじさんは喪服を着ていた。

 まだ200キロも走ってないのに、弟とタンデムで光が丘まで帰宅。走りはじめだけは緊張したが、なんとか完走。ほっとする。しばし弟とバイク談義のあと、墓のことで長兄に電話をするが、つれない返事だったようだ。
「母ちゃんの墓のことで相談したいんやけど……」
「うーん。相談もされたくないねえ」
やはり、○ム○イのことが尾をひいているのだろうか。
 そのあと3人で付近を自転車でブラブラ。夕方、赤塚で焼き肉。