10月9日(木)
物部村(ライダーズイン)~高松市(中北うどん)~高松(高速)~愛媛(伊予インター)~佐田岬メロディライン~佐田岬半島(神崎・廃校宿泊施設)
朝6時には起床、新しいバッテリーを取りつける。まだ、みんなが寝ているようなので、建物から押していってエンジンを掛けてみる。一発で元気に回ったので、ホッとする。
午前7時には195号を木頭村方面に向かって出発。車もほとんどいなくて、快適。上那賀町193号を北に向かう。ここもほとんど走っている車はない。ただし、道が狭いのでゆっくり走る。思っている以上に時間がかかる。途中の峠越えでは、下り、エンジンを切ったまま6、7キロ走ったりする。
12時近くなってようやく高松市につく。193号腺と11号腺の交差するあたりに「中北ウドン」があるらしいので、近くの交番で訊いてみるが知らないとのこと。初老の警察官に近所の地図帳を出して見てもらうと、すぐ近くに中北という家がある。そこにいってみるが、ただの民家。歩いていた近所の人に訊いてようやく、場所が判明。狭い路地を入ったかなりわかりにくい所にある。
ほとんどのお客が近所の人。おばあさんとその息子夫婦といった感じの3人が調理をやっている。事務服をきた女性の後ろで順番をまっているが、割と空いている。ウドンの他に、握り飯にフライなども並べてある。セルフサービスのようで、前の人の見よう見まねで、皿に握り飯2個と味の魚のフライを1個とっていると、おばあさんが中から声をかけてくる。
「そちらは?」
言葉に詰まっていると、さらに畳みかけるように言われる。
「普通? 大盛り?」
「あっ。ええと、大盛り、お願いします」
「冷たいの? あったかいの?」
「ええと、あったかいのをお願いします」
これで会話終了。おばあさんはわかったというふうに頷くと、10秒もしないうちにウドンの麺だけはいったドンブリを手渡される。中には汁がはいっていない。これをどうするんだろうと突っ立ったままでいると、またおばあさん。
「そこの魔法瓶」
「はい?」
見ると、目の前に魔法瓶が置いてある。どうやら、そこから汁を好みの量だけ注ぐようになっているらしい。ようやく、店のシステムがわかってきて納得。お盆にドンブリと皿を載せたまま、どこに座ろうかときょろきょろ。テーブルが4つくらいしかない。サラリーマン風の男の前が空いているようなので、その前に座る。席に座りさっそくウドンをすする。
「そちらは?」
言葉に詰まっていると、さらに畳みかけるように言われる。
「普通? 大盛り?」
「あっ。ええと、大盛り、お願いします」
「冷たいの? あったかいの?」
「ええと、あったかいのをお願いします」
これで会話終了。おばあさんはわかったというふうに頷くと、10秒もしないうちにウドンの麺だけはいったドンブリを手渡される。中には汁がはいっていない。これをどうするんだろうと突っ立ったままでいると、またおばあさん。
「そこの魔法瓶」
「はい?」
見ると、目の前に魔法瓶が置いてある。どうやら、そこから汁を好みの量だけ注ぐようになっているらしい。ようやく、店のシステムがわかってきて納得。お盆にドンブリと皿を載せたまま、どこに座ろうかときょろきょろ。テーブルが4つくらいしかない。サラリーマン風の男の前が空いているようなので、その前に座る。席に座りさっそくウドンをすする。
うまーい!
麺の表面がちょっと透き通っていて、腰があり、むちむちして、のど越しがつるんとしている。ダシもよくきいている。これならいくらでも食べられそうだ。握り飯もうまい。しかし、なんといっても一番びっくりしたのがアジのフライ。一口かぶりつくとサクッときて、中がほっくり、しかもジューシー。揚げたてで、全然油臭くない。骨までサクサクと食べられる。
絶品!
ふと見ると、前の人も同じフライを食べている。こんなのが毎日食べられるなんて、うらやましい。がつがつと、あっという間に平らげる。きて、よかった。帰りにトイレを借りて、バイクのところから記念に店の写真を撮っていると、建築作業員らしき人たちが3、4人やってくる。
「練馬って、どこの練馬?」若い作業員がバイクのナンバーを見て、興味深そうにそう訊いてくる。
「東京の……」と、答える。
「あの東京から、ここまできたのかい」驚いている。
「よく、ここがわかったねえ。地元の人でもわかりにくいのに……」とこれは年輩の人。
このあと、ちょっとした会話を交わして、彼らもウドン屋に入っていく。
今日中には、佐田岬の近くにいきたいので、すぐ近くから高速に乗る。松山まで1時間くらいのものだろうと思っていたが結構遠いと、走りはじめてから気がつく。約150キロ。けれど高速の見晴らしは、高い防護壁がない分だけ結構いい。心地良く、前後に車がいないこともあって、120か130くらいで流していると、トンネルをでたとたんに急に右側からパトカーが追い越しをかけてくる。あっと、思ったがもう遅い。覚悟を決めて、指示に従おうと向こうの出方を待っていたが、パトカーは猛スピード(推定140から150)で追い越し車線を突っ走っていく。
次のインター付近で取り締まりを受けるかもしれんと、80くらいで走っていると、今度は事故検分車らしいワンボックスが、やはり追い越し車線を突っ走っていく。どうやら事故のようだ。現場に急いでいるらしいと見当はついたが、しばらくは冷や冷やしながら走る。インター付近では何事もなく、ようやく人心地がつく。しばらくは法定速度で走る。
午後、2時前後。今日泊まる予定の廃校跡に、西条市近くのPAから電話。
そこは元小学校を宿泊施設にしたところだ。今からいきますと言うと、事務所にいないかもしれないから、メモを置いておくという。話しぶりから、西条から結構、時間がかかりそうな雰囲気だ。電話にでたおばさんらしき人、今、西条からだと言うとちょっと驚いている。5時までには無理かもしれない。
道後温泉に寄るつもりでいたが、時間がないので今回はパス。伊予のインターで下りる。そこから56号を下って、内子町をちょっと見学。バイクに乗ったまま、石畳をそろそろと走る。風情を楽しんでいた観光客のみなさん、どうもすみません、と心の中で手を合わせ、いかにも興味深げな顔をして、極極低速で流す。
内子から八幡浜市に向かうが、市内で信号待ちの時に時計を見ようと、タンクバッグのトップを開けて地図をめくったとたんに、下に落としてしまう。後ろに車が並んでいて、うまくサイドステップが下ろせなかったせいもあり、拾う時間なし。あきらめる。以後、上の弟が我が家に忘れていった時計を返そうと思って、ずっとバッグに入れて持ち歩いていたのを代わりに使う。
午後5時過ぎに佐田岬メロディラインにはいる。さすがにねずみ取りで有名なところ。結構な数のパトカーに会う。たぶん、今日1日の営業を終えて、署に帰るところだろう。しかし、気を許さずになるべく法廷速度で走る。白バイはいないようだ。ときおり、うしろから猛スピードで車が追い抜いていく。たぶん地元車だろう。
泊まるところは、神崎というところで、電話によるとかなりわかりにくいらしい。事実、何回か細い道を迷う。ようやく廃校跡についたが、だれもいない。海岸近くで、近くに人家も近くにはない。ここで今夜は一人。少し、武者震い。
自分当てにメモがあったので、それを見て、事務所らしき部屋の外に添えつけてあるピンク電話から管理人に電話。
「遅くなりましたけど。ええと、今つきました」
「体育館のカーテンが開いているところから中に入れるからね。……それと、風呂はその電話を掛けている建物の奥にあります。中を入っていくと、すぐにわかるから……。ボイラーのスイッチはいれたままだから、蛇口ひねると湯はでますよ。今、ちょっと手がはなせないから、あとでいくから……」
木造平屋、4、5クラスが続いている縦長の教室と、中央で直角に交わるように小ぶりの体育館が併設している。裏口から上がりこんで、ステージに荷物を取りあえず置く。ステージ上には、アップライトピアノやスピーカーなどが隅に雑然と積んである。ピカピカに光っている板張りの体育館は結構新しそうだが、いくらなんでも一人じゃ広すぎる。こんなところでホントに眠れるだろうか。トイレは体育館の裏手、ステージのすぐ裏手にもあたるところだが、そこに独立の建物としてある。案の定、くみ取り式。しかも体育館とは違って、かなり古い。夜中に一人でいくのはちょっとつらい。人家の明かりが見えないというのは、なんとなく寂しいものだ。
風呂に行く前に、ビールを調達しにバイクで、下ってきた道を上に引き返す。
遠くからだと店らしい看板が屋根の上に見えるのに、近くにいくとそれらしい建物はない。散歩をしているおじいさんに酒屋の場所を訊いてみると、狭い坂を何段か下りたところにあるという。そこにいくには車はもちろんバイクでも無理、歩いてしかいけないようだ。小さな雑貨店風になっていて、ビールも一種類しかなく、つまみも限られている。夕食にと思っていたサバ缶もマグロ缶もない。しかたないのでカンビール数本と乾きものを買って学校に戻る。
だだっ広く寒々とした風呂場で湯を使い、寂しい夕食。こんなときは、ラジオが最愛の友に変身する。普段はなんとも思わないケーシー・タカミネ(たしかそうだった……)の話芸が妙に心地よい。
ビール飲みながら、手帳に書きものをしていると、夜8時くらいに管理人のおばさんが懐中電灯片手にやってくる。手をケガ下らしく、右手は包帯で吊っている。リンゴを1個貰う。受付にいって必要事項を書いてから、また体育館に戻り、電灯のスイッチの説明などを受ける。それから、ここは夏期には意外にも宿泊客が多いという話や愚痴を聞かされるはめになる。
「……予約を受けた人が、道がわかんないからって電話がきたことあるんよ。それでここまでの道を教えたんだけど、10時になっても11時になってもこなかったねえ。ここはわかりにくいから、道に迷ったんだろうかって心配になって、ずっと待ってたんだよ、わたし一人で。結局、夜の夜中の1時まで待ってたんよ。事故でもあったんじゃないかと心配になってきたし、ねえ。でも、結局こなかったね。こないなら、こないって電話の1本でもくれればねえ」と、おばさんは俺もひょっとして、今回はこないんじゃないかと危惧していたことを、言外に匂わせながらそう言う。
じゃあ、これでと言いながら、おばさんは一旦は帰ろうとするんだが、最後の一言という感じでまたなにか話をはじめる。これがなかなか終わらない。次から次に話が続く。
――自分たちには子どもがいないと言うと、養子だけはもらわないほうがいいという忠告あり。だいたいが養子をもらった途端に、子どもができるのが普通だよ。そうなったら、生まれてきた子がかわいいから、養子をないがしろにしてしまう。わたしは何人もそういう子を見てきたんだ。絶対に養子をもらうこと考えちゃだめだよと、再三、念を押される。
――次にここに泊まることがあったら、必ず今日、こういうことをあたしがしゃべったって最初に言えば、わたしも、ああ、あのときの人かってわかるから、それで無理してでも、ここに泊まってもらおうかなって思うんだよ。もし、そのとき奥さんでも一緒なら、必ずそう言うんだよ。それが縁ってものだから……。
他にも、ここで病気になったキャンパーの話などが続く。やっぱり、お遍路さんの土地柄だろうか、親切にも念がはいっている。だが夜は一人。話しはじめて約1時間。ようやく、おばさんが帰っていくと、最初のときよりも体育館が妙に広く感じられる。一応、おばさんに「夜は電灯、全部つけて寝ますから……」と断りを入れておいたのだが……。
「男だろうがね」
と、言われたが、だだっぴろい真っ暗な体育館で立った1人で寝るのは、素直にここを独り占めという気持ちにはなかなかなれない。
ところが、いざ寝ようと思って電灯をつけっぱなしにしていると、妙に落ちつかない。明るいところでは眠れない性分だ。ため息をつきながら、すべての電灯を消す。ビール飲んでいるせいもあり、意外と早く寝つく。が――尿意にふと目が覚める。午前2時。外の地面に適当にやってしまおうかと思ったが、だれかが見ているような気がして、結局、裏のくみ取り式の便所にいく。漆黒の闇。見上げると星はきれいだが、感激する余裕はない。余計なことは一切考えずに、さっさっと用をすます。再び、寝ようとしたときに、ステージの向かい側にある体育館の入り口にあたりに、人の気配がするので、じっとそこを見つめ、手持ちのライトで照らしてみる。入り口は跳び箱や体育の器具が置いてあり、用具室代わりになっていて、それらが明かりにぼんやりと浮かび上がる。やはり、気のせいだ。――だれもいない。眠い、俺は眠いと暗示をかけながら、ようやく浅い眠りにつく。
中北うどん。(今はもうやっていないようだ)
内子町。そろそろと走る。
廃校の宿泊施設。
校庭。
体育館。1人で寝るには広すぎる。
ステージで寝る。