拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「死霊の盆踊り」

2023-02-02 09:29:19 | 日記

その天然温泉で(承前)、高齢の男性が倒れて救急隊員が呼ばれて、幸い大事には至らず、脱衣場で隊員から聞き取りを受けていた。「ご家族は?」「独り」。あらま。それはご心配なこと。って、人のことは言ってられないが。そう言えば、テレビで「昭和のアパート」を特集していて、そこの住人も高齢の独身者ばかり(下手に「じーさん」と言わない方がいい。後から年を聞くと私と変わらなかったりする。その人が「じーさん」なら私も同じである。「おじさん」という差別語に神経質になっているどころではない)。その非じーさんたちは、しかし毎朝アパートの集会室に集まってビールを飲んでるから寂しくはなさそうである。つうか、寂しいから朝からつるんで酒を飲んで喧嘩して、それでも翌日また集まるのだろう。いちおう、毎朝ビールを飲む余裕がおありだから、お貧乏というわけではなさそうである(ご同慶の至りである)。天然温泉で具合が悪くなったお兄さん(?)も、天然温泉に来る余裕がおありだから同様である。因みに、ワタクシの場合は、猫が二匹いるので完全な「独居」ではない。しかも、このブログで社会とつながってるので、集会場に行ってビールを飲む必要はない。

さて。ようやく、ディカプリオ主演の映画「ロミオとジュリエット」を見た。これってたしかスピルバーグが監督だよね?え?違った?そうだ、スピルバーグが監督したのは、「ウェストサイド物語」のリメイクだった。どっちもリメイクで舞台が現代だからごっちゃになってしまった(しかも、「ウエストサイド」のオリジナル自体が「ロミオ……」の現代版リメイクである)。だが、ディカプリオのヤツは、設定は現代でもシェイクスピアの台詞をそのまま使ってるから、展開はオリジナルとほぼ同じである。だから、警察署長が犯行直後に(裁判を経ずに)ロミオの追放を宣言したりして、現代の法治国家にあるまじき事態になっている(オペラでも、中世の設定を現代に変えることが多く、その場合、台詞(歌詞)に齟齬が生じる)。ジュリエットの死(仮死)の真相がロミオに伝わらなかった過程の描き方も現代的。この場面は、オリヴィア・ハッセーがジュリエットを演じたゼッフィレッリ監督作品を初めて映画館で見た時のことを思い出す。真相を伝える手紙を預かった修道士がロバでちんたら旅をしてて、途中で休憩している横を、ホントに死んだと早合点してそのことをロミオに伝えようとする早馬の使者が駆け抜けるとき、映画館内に「ああー」という声があふれたものである(なお「オリジナル」についてであるが、ホントのオリジナルはシェイクスピアの原作だし、映画もゼッフィレッリ監督作品の前に少なくとも4作あるので、同作をオリジナルとは到底言い難い状況である)。

次に見たい映画が「死霊の盆踊り」。とてつもなくひどくて、多くの人が「ワースト1」に挙げている。ググると「人気作品」とある。あまりにひどくて人気らしい。見たい!だが、録りだめた録画の中にはない。因みに、その作品の脚本を書いたのがエド・ウッドで、この人を主人公にした映画をティム・バートンが撮っていて(主演=ジョニー・デップ)、すぐ見ることができる。