拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

おしゃべり仙人

2024-09-22 13:07:04 | 健康

中高年になると、自分の人生これで良かったの?と思う人が増えるという。ミッドライフクライシスと言うのだという。これまでの人生で何も成し遂げていないことに気がついて、自信喪失、自己否定に見舞われるという(NHKクローズアップ現代より)。大学の先生をやってるような人でも、かつての同僚が大学教授なんかになってるとミッドライフクライシスに陥るのだそうだ。だったら私なんかどうなるのさ。ホントにデタラメな人生を送ってきて今は無為無職。それでご飯は食べている。これを無駄飯食いという(なお、言葉的には、ご飯を食べてなくても、デタラメな人生を送っているだけで「無駄飯食い」と言うようだ)。まあ、ああすればこうすれば……と思うのはある程度のレベルまで行った人の話で、私くらいの低レベルだと上は見ないから危機の度合いは低いかもしれない。とにかく、ミッドライフクライシスに陥ったとしよう。そこから脱却する方法の一つは人と話すことだという。

おしゃべりは長生きのこつでもあるという。

ところで、私の目標は仙人になることだが、私のイメージでは仙人は寡黙である。ってことは、仙人は短命か?(だったら考え直すが)

水墨画の群仙図には、数人の仙人を描いたものや、数人の弟子に囲まれたものがある。数人いればおしゃべりをしてそうである。更に、侍る童が酒びょうたんを持ってたりする。お酒が入れば尚更である。仙人=長命の目が出てきた。

そもそも仙人とは何物か?大辞林は仙人について「不老不死の術を修め」た者としている。おお!仙人はそもそも長命どころか不老不死であった。おしゃべりをするしないは不問であった。だが、術を修めた者ということになると私のような凡人には無理である。結局、下界の結論(長生きをしたければおしゃべりをせよ)に従わなければならないこととなる。

ところで、私の亡き母は、最晩年、施設の部屋の壁に向かってお話をしていた。これに長命効果があったのだろうか。はたから見て会話になっていなくとも、本人が会話だと思っていれば会話である。母は楽しそうに壁としゃべっていた。効果はあったと思う。だが、その前にボケていることが前提であるから、壁との会話による長命効果はボケによる寿命短縮と相殺されたことは否めない。



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