日曜日に建長寺に行った。
「創建760年、建長寺の歴史に、世界最古の電子楽器テルミンが鳴り響く 〜ぷらイムスペシャルコンサート 語りとテルミンで紡ぐ『アグニの神』」
先日の「さよならは言わない」の水沢有美さんが一人八役の語りをされる
芥川龍之介の「アグニの神」を拝見したかったのはもちろんのこと、
以前テレビで観たテルミンという楽器にも興味があった。
しかも鎌倉建長寺だ。
これは行くしかないと友人たちを誘ったのだが…
え?このブログは「日常生活も沖雅也よ 永遠に」じゃないの?
沖さんと関係ないじゃないって?
いやいや、私の生活はどこにでも沖雅也さんがいらっしゃるので
必ずつながってしまうのだ。
建長寺。
歴史ある禅寺の方丈殿に入った時、すでに外とは空気が違うような気がした。
関係者のご挨拶に続き、ご住職とともに般若心経を唱えるだけで、ふだんのわさわさと落ち着かない自分が、静かに内面と向き合えるよう誘導されるのを感じる。
そこへ大西ようこさんのテルミンの音。
ロシア生まれでアメリカで製造されているというテルミンが
建長寺に合うのかと思いきや、
これは電子音なのに人の精神の中に入って来る音だ。
ボーカルの三谷郁夫さんの声とギターの音色は、長年一緒に組んで活動されているだけに、テルミンの音とピタリと合う。
むしろ、ギターがテルミンを誘導している形に聴こえた。
そこへ水沢有美さんが入って来る。女神の登場だ。
予習のために原作を読んでおいたのだが、原作に女神はいない。
死の瞬間、自分が愛した神のことを思い出す女神を登場させ、物語は輪廻転生を盛り込んで、さらに精神世界へと観客を誘う。
一人がたりという舞台を生で初めて拝見したが、
水沢有美さんという女優さんはどの役を演じても清潔感を失わない。
お金に汚い老婆が実は女神の化身という不思議な設定は、まるでこの建長寺に合わせた禅問答のようだが、水沢さんの女神はそれを疑問に思わせずに清涼感を残す。
「どこからともなくたおやかな香りが」という台詞の時にお香の香りが演出で漂って来たが、水沢さんなら言葉だけで香りを引き出せたに違いない。
テルミンという楽器は初めてだったが、精神世界を表現するのに合った音を出すと知った。
奏者によるのかも知れないが、大西ようこさんはあくまで感情を抑えて演奏するスタイルなので、時に物足りない気がするほどだったが、この舞台にはその前に出て来ない演奏が、かえってふさわしい。
三谷郁夫さんの声は、友人が
「『私だけの十字架』を歌って欲しい声」と言った時
「あ、歌って欲しい!」と思わせる、心を震わせる力を持ちながら、影の部分も持ち合わせたお声だった。
すべてが、この舞台にふさわしい演出になっていた。(当たり前か)
そして、前日に知った本日のゲストは、舞踏家の大野慶人先生。
これが私と友人たちには大きなサプライズだった。
大野先生のお父様は私たちの学校の恩師で、舞踏の世界では知らない人はいないという大野一雄先生(苗字が同じなので説明しにくい)なのだ。
正直、中学・高校を通じて毎年観た大野先生の舞台は、オバQ音頭の振り付けさえなかなか覚えられなかった身には猫に小判で、その特殊なメークと衣装、ダンスとも日本舞踊とも違う世界が当時の私には全く理解出来なかったというのが本音だった。
狭い空間で目の前で観た時など、鬼気迫る表情に恐怖感すら抱いたものだ。
その大野先生の息子さんである慶人先生は、長年大野一雄先生の振り付けも担当されていたので、懐かしいものになるかも知れないという期待を持って、しずしずと登場されたお姿に注目する。
建長寺760年に寄せて作られた「二つの風舞」という音楽に合わせた大野慶人先生は和の世界を表現されていたので、私の知る大野一雄先生とは舞踏の方法も表現する世界も違う。
違いがわかる自分に驚いた。
どこか古きヨーロッパの香りを漂わせた妖精のような動きの大野一雄先生に対して、
目の前で舞踏を披露する慶人先生は、武道のように腰を落とし、禅の精神を体現されているようだった(気がする)。
しかし、その表情や動きの中には明らかに同じDNAも流れていて、たちまち目の前に懐かしい大野先生の姿が思い浮かんだ。
中学一年生だけに披露してくれたサンタさん姿の大野先生のパントマイム。
白く塗られたお顔にボロボロの衣装のまま、ありもしない花の形が先生の指先には確かに見えた不思議な舞。
キリスト教を学ぶという目的で、毎年御殿場に三泊四日行けば、大野先生はその舞を見せて下さるだけでなく、一緒に食事の支度をして下さった。
ただ、先生が微笑まれた姿を私は一度も見たことがない。
クリスチャンの先生方が交替で話す礼拝でも、一度も話をされたことはない。
だが、慶人先生のきりりとした舞踊の中に、すーっと一雄先生の姿が入って来た。
そして、毎日箸が転んでも笑うノー天気な女子高生たちに見せようとしていた精神世界が、今になってふっと私の中に入って来た。
大野一雄先生はクリスチャンだったが、その表現は正にさきほど唱和した般若心経の諸行無常の世界だったのだ。
キリスト教でいえば、言い訳をせずに十字架にかかったイエス・キリスト。
学校で黙々と仕事をこなされる先生に
「私たちがやります」「お手伝いさせて下さい」
いくらそう言っても、いつも「いいです」としかおっしゃらなかった先生の秘めた思いと力について、一度うかがってみたかったが、先生は踊りから読み取れと無言で踊り続けられたのだろう。
そんな先生の思いも通じず、私は毎年の御殿場の旅では全く遊び気分だった。
「おからの華」の放映日と重なってしまって小型テレビを購入してそっと持参したこともあった。
「そっと」といっても当時の小型テレビは17インチもあり、大きなカバンがひとつ増えて、「ずいぶん大荷物ねえ」と担任に疑われたこともある。
「ふりむくな鶴吉」の浴衣を着て、満面笑顔の写真も残っている。
あの頃すでに沖さんが私の人生のすべてで、それ以外のことは余計なこととして吸収することさえ拒否していた。
今になって大野一雄先生の姿は、
「今頃になって息子の姿から私の心を読み取ろうとしているんですか?」
というように、公演が終わった後も私の脳裏から離れない。
それは、ふだんは気にもとめないのに心の奥底に残っていたものが、次元を超えた世界から素晴らしい舞台、音楽、舞踊を通して引き出されたのだろう。
そしてもちろん、あの頃の自分が沖さんへ感じていた気持ちも、ぐっとよみがえって来た。
もっと激しく、もっとセンチメンタルだった一途な想いを。
さて、終演後はラッキーなことに水沢有美さんからとても貴重なお話をいろいろ伺うことができたのだが、いつもながらまとまらない文章が長くなりすぎたので、いったんアップする。
うまく表現出来ていない部分は、読んで下さる方の力量でカバーして下さい(と、投げ出す)。
「創建760年、建長寺の歴史に、世界最古の電子楽器テルミンが鳴り響く 〜ぷらイムスペシャルコンサート 語りとテルミンで紡ぐ『アグニの神』」
先日の「さよならは言わない」の水沢有美さんが一人八役の語りをされる
芥川龍之介の「アグニの神」を拝見したかったのはもちろんのこと、
以前テレビで観たテルミンという楽器にも興味があった。
しかも鎌倉建長寺だ。
これは行くしかないと友人たちを誘ったのだが…
え?このブログは「日常生活も沖雅也よ 永遠に」じゃないの?
沖さんと関係ないじゃないって?
いやいや、私の生活はどこにでも沖雅也さんがいらっしゃるので
必ずつながってしまうのだ。
建長寺。
歴史ある禅寺の方丈殿に入った時、すでに外とは空気が違うような気がした。
関係者のご挨拶に続き、ご住職とともに般若心経を唱えるだけで、ふだんのわさわさと落ち着かない自分が、静かに内面と向き合えるよう誘導されるのを感じる。
そこへ大西ようこさんのテルミンの音。
ロシア生まれでアメリカで製造されているというテルミンが
建長寺に合うのかと思いきや、
これは電子音なのに人の精神の中に入って来る音だ。
ボーカルの三谷郁夫さんの声とギターの音色は、長年一緒に組んで活動されているだけに、テルミンの音とピタリと合う。
むしろ、ギターがテルミンを誘導している形に聴こえた。
そこへ水沢有美さんが入って来る。女神の登場だ。
予習のために原作を読んでおいたのだが、原作に女神はいない。
死の瞬間、自分が愛した神のことを思い出す女神を登場させ、物語は輪廻転生を盛り込んで、さらに精神世界へと観客を誘う。
一人がたりという舞台を生で初めて拝見したが、
水沢有美さんという女優さんはどの役を演じても清潔感を失わない。
お金に汚い老婆が実は女神の化身という不思議な設定は、まるでこの建長寺に合わせた禅問答のようだが、水沢さんの女神はそれを疑問に思わせずに清涼感を残す。
「どこからともなくたおやかな香りが」という台詞の時にお香の香りが演出で漂って来たが、水沢さんなら言葉だけで香りを引き出せたに違いない。
テルミンという楽器は初めてだったが、精神世界を表現するのに合った音を出すと知った。
奏者によるのかも知れないが、大西ようこさんはあくまで感情を抑えて演奏するスタイルなので、時に物足りない気がするほどだったが、この舞台にはその前に出て来ない演奏が、かえってふさわしい。
三谷郁夫さんの声は、友人が
「『私だけの十字架』を歌って欲しい声」と言った時
「あ、歌って欲しい!」と思わせる、心を震わせる力を持ちながら、影の部分も持ち合わせたお声だった。
すべてが、この舞台にふさわしい演出になっていた。(当たり前か)
そして、前日に知った本日のゲストは、舞踏家の大野慶人先生。
これが私と友人たちには大きなサプライズだった。
大野先生のお父様は私たちの学校の恩師で、舞踏の世界では知らない人はいないという大野一雄先生(苗字が同じなので説明しにくい)なのだ。
正直、中学・高校を通じて毎年観た大野先生の舞台は、オバQ音頭の振り付けさえなかなか覚えられなかった身には猫に小判で、その特殊なメークと衣装、ダンスとも日本舞踊とも違う世界が当時の私には全く理解出来なかったというのが本音だった。
狭い空間で目の前で観た時など、鬼気迫る表情に恐怖感すら抱いたものだ。
その大野先生の息子さんである慶人先生は、長年大野一雄先生の振り付けも担当されていたので、懐かしいものになるかも知れないという期待を持って、しずしずと登場されたお姿に注目する。
建長寺760年に寄せて作られた「二つの風舞」という音楽に合わせた大野慶人先生は和の世界を表現されていたので、私の知る大野一雄先生とは舞踏の方法も表現する世界も違う。
違いがわかる自分に驚いた。
どこか古きヨーロッパの香りを漂わせた妖精のような動きの大野一雄先生に対して、
目の前で舞踏を披露する慶人先生は、武道のように腰を落とし、禅の精神を体現されているようだった(気がする)。
しかし、その表情や動きの中には明らかに同じDNAも流れていて、たちまち目の前に懐かしい大野先生の姿が思い浮かんだ。
中学一年生だけに披露してくれたサンタさん姿の大野先生のパントマイム。
白く塗られたお顔にボロボロの衣装のまま、ありもしない花の形が先生の指先には確かに見えた不思議な舞。
キリスト教を学ぶという目的で、毎年御殿場に三泊四日行けば、大野先生はその舞を見せて下さるだけでなく、一緒に食事の支度をして下さった。
ただ、先生が微笑まれた姿を私は一度も見たことがない。
クリスチャンの先生方が交替で話す礼拝でも、一度も話をされたことはない。
だが、慶人先生のきりりとした舞踊の中に、すーっと一雄先生の姿が入って来た。
そして、毎日箸が転んでも笑うノー天気な女子高生たちに見せようとしていた精神世界が、今になってふっと私の中に入って来た。
大野一雄先生はクリスチャンだったが、その表現は正にさきほど唱和した般若心経の諸行無常の世界だったのだ。
キリスト教でいえば、言い訳をせずに十字架にかかったイエス・キリスト。
学校で黙々と仕事をこなされる先生に
「私たちがやります」「お手伝いさせて下さい」
いくらそう言っても、いつも「いいです」としかおっしゃらなかった先生の秘めた思いと力について、一度うかがってみたかったが、先生は踊りから読み取れと無言で踊り続けられたのだろう。
そんな先生の思いも通じず、私は毎年の御殿場の旅では全く遊び気分だった。
「おからの華」の放映日と重なってしまって小型テレビを購入してそっと持参したこともあった。
「そっと」といっても当時の小型テレビは17インチもあり、大きなカバンがひとつ増えて、「ずいぶん大荷物ねえ」と担任に疑われたこともある。
「ふりむくな鶴吉」の浴衣を着て、満面笑顔の写真も残っている。
あの頃すでに沖さんが私の人生のすべてで、それ以外のことは余計なこととして吸収することさえ拒否していた。
今になって大野一雄先生の姿は、
「今頃になって息子の姿から私の心を読み取ろうとしているんですか?」
というように、公演が終わった後も私の脳裏から離れない。
それは、ふだんは気にもとめないのに心の奥底に残っていたものが、次元を超えた世界から素晴らしい舞台、音楽、舞踊を通して引き出されたのだろう。
そしてもちろん、あの頃の自分が沖さんへ感じていた気持ちも、ぐっとよみがえって来た。
もっと激しく、もっとセンチメンタルだった一途な想いを。
さて、終演後はラッキーなことに水沢有美さんからとても貴重なお話をいろいろ伺うことができたのだが、いつもながらまとまらない文章が長くなりすぎたので、いったんアップする。
うまく表現出来ていない部分は、読んで下さる方の力量でカバーして下さい(と、投げ出す)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます