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And This Is Not Elf Land

「ジャージー・ボーイズ」東京公演を楽しむために(4)

「ジャージー・ボーイズ」東京公演を楽しむために(1)
「ジャージー・ボーイズ」東京公演を楽しむために(2)
「ジャージー・ボーイズ」東京公演を楽しむために(3)


映画版の「ジャージー・ボーイズ」をご覧になられた方の感想として「当時の音楽シーンが見えないのが物足りない」というものがいくつもありました。確かに、それはそれでよくわかります。

舞台ミュージカルの「ジャージー・ボーイズ」では、映画版よりは、これについて語っています。その語り手は主にボブ役でありますが。

で、今回は

「シェリー・ベイビー危うし!」

(以下、事前情報を入れずに来日公演を楽しみたいと思われる方にはスルーをお奨めします)

















ヒットを連発して絶好調な場面ではボブ・ゴーディオ役がナレーションを務めますが、その中でこう言います。


「僕らはビートルズの様な特別な存在でもなかったし、僕らのファンは花をつけて行進もしなかった。時代はそれを求めていたのかもしれないが、僕らのファンたちは、むしろ、戦場へ派遣された人達であり、その恋人たちは工場やスタンドや食堂で働きながら愛する人の帰りを待った…僕らを必要としてくれたのはそんな人達だった。」(意訳してます)

ボブは、時代の風が必ずしも自分たちに味方をしてくれているわけではないことを実感しながらも、それでも目を輝かせて前へ進もうとしているようです。

しかし、そのシーンで舞台の上方に映し出されるプロジェクションの絵に注目です。予告動画をご覧になってお分かりのように、舞台の上方にはスクリーンがあって、そこに画像が映し出されます。これは、マイケル・クラークのデザインによるもので、当時のアメリカのコミックを思い起こさせるデザイン。

ジャージー・ボーイズにおけるプロジェクションの役割などについては、このブログでもずっと語っていますので、ここでは省略しますが…客席に向けられて大きく映し出されるプロジェクションの絵は、観ている側にとってストリーの理解を助けてくれたり、あるいは、舞台上で繰り広げられる演技とは又異なる視点からのメッセージを送ってくれるものであります。

で、この時に映し出される絵なのですが…彼らの成功を象徴する「あるもの」が、激しい攻撃にさらされている、非常にシビアな絵であります。自虐的な風刺画でもあり、衝撃的な絵でもあります。

舞台で、夢を語っているボブでありますが、勿論、舞台上の彼にはこの絵は見えていません。もしかしたら、現実は彼が認識しているよりも厳しいものであったのかもしれないと思わせます。

まぁ、この絵というのは、関係者が結構気に入っているのかどうかはわかりませんが、何と映画版にもちらっと映ります。ボブ・クルーの家の壁にこの絵がかかっているんですね。DVDをお持ちの方はご自宅で確認してみてください。

そして、その後もボブは夢を語ります「すっとこのまま順調に行って、ワールド・ツアー、コンセプト・アルバム、そして自分たちのレーベルを立ち上げたいと思った」

舞台では、ニックに語りが移った時に、彼はボブのこの傍白を受けて「ボブは理想ばかり見ていて、足元の現実を見ようとしない」と語っていることになります。映画では、ボブの傍白がないことで、ちょっと繋がりが悪い印象です。いずれにしても、ジャージー・ボーイズの物語の中では、この後にグループ内のトラブルがあって、ここは実現しなかったように見えます。


ここの部分については、実際はどうだったのでしょう?これについては先日、武蔵小山のAGAINでのイベントで、鳩サブロー様や本のデザインも手がけられたT様からとても貴重なコメントをいただくことができました。「ワールド・ツアー」はなかったこと。「コンセプト・アルバム」「自分たちのレーベル」については、一応実現はしているが、彼らが思い描いていたとおりの結果が出たのかどうかは疑問が残ること…そのほか、彼らの当時の音楽活動についての鋭い分析と深い洞察に基づいたお二人のコメントの数々には感動を覚えてしまいました。


私を含めて多くの人たちは「ジャージー・ボーイズ」(舞台・映画)で初めてフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズを意識するようになりました。(これは、本国アメリカでもあんまり変わらないと思います)彼らのヒット曲は知っていたけれども、どういう人たちが歌っていたのかは知らない。あるいは、これだけのヒット曲を持つアーティストでありながら、そういえば…メディアに大々的に取り上げられていたという記憶がない。

ただ、私が言えるのは、ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」を創り上げるにあたっては、彼らのこのような「ミステリアスな」部分がプラスに作用しているということです。

ノスタルジックでどこか甘酸っぱいお馴染みの曲の数々とともに、次々と明らかにされる出来事が非常にスリリング。その中で、観客はただ受動的に物語と向き合うだけでなく、何らかの想像力を働かせながら物語を楽しむ余地が与えられる。作品に自ら参画できる自由が与えられているかのようでもあります。すばらしいことだと思います…これ以上の舞台を楽しみ方があるでしょうか?あるいは、これだけのヒット曲がありながらも、あまり注目されることがなかった彼らの存在そのものが「ドラマ」だと感じる人もいらっしゃるでしょう。

とにかく、私は、他のどのアーティストをモデルとしたミュージカルを作ったとしても、このあたりが成功するとは思えないのです。人々に多大な影響を与えた、いわゆる「大物アーティスト」はたくさんいるでしょうが、元々の印象が強いアーティストであれば、観る側の「自由度」が少なくなってしまうような気がします。とにかく、ここは、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズをモデルにしたからこそ可能だったところだと確信しています。


既存のアーティストの曲を使ったミュージカルはジュークボックス・ミュージカルと(かつては嘲笑的に)呼ばれました。とにかく、このジャンルのミュージカルで、批評的にも興行的にも成功しているのは「ジャージー・ボーイズ」だけです。(「マンマ・ミーア!」は興行的には成功していますが、批評家からの評価は得られませんでした。)1年半前にブロードウェイでオープンしたキャロル・キングのミュージカル「ビューティフル」も、今のところ堅調な興行を続けていますが、「ジャージー・ボーイズ」ほどの評価は得られませんでした。NYタイムズ紙も「わざとらしい脚本」と厳しく、ロンドンでも「生ぬるい」という批評。キャロル・キングほどのアーティストをモデルにしてもこれです。かつて、ジョン・レノンをモデルとしたミュージカルは歴史的な失敗興行に終わりました。

舞台ミュージカルは、いわゆる大物アーティストをモデルにすれば絶対に成功するというものではありません。(むしろ…??)このあたりについては、ここ数十年のミュージカルの動向を見てきた人は気づいていらっしゃるでしょう。

とにかく、私は、このジャンルでの「ジャージー・ボーイズ独り勝ち」は続くと思います。

なぜなら、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズと同じアーティストは他にはいないからです。
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