『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

巻一の一 物語開始のこと

2025-01-05 00:00:00 | 連続読物『いいかよく聞け、五郎左よ!』
2025年度は、まずは連続読み物『いいかよく聞け、

五郎左よ!』を再掲してまいります。


<初出:2007年の再掲です。>

巻一の一  物語開始のこと

 この物語の主人公は、丹羽五郎左衛門長秀です。

長秀は天文四年(一五三五)誕生(幼名:万千代)。

父長政の代から尾張国守護斯波家の家臣でした。天

文十九年(一五五0)頃から織田信長に仕えること

になりますが、実はこの前年(一五四九)あたり、

斎藤道三の女「濃姫」の信長への輿入れがあったり、

捕虜として預かっていた松平竹千代(のちの徳川家

康)が今川軍に奪還されたりと大変な事件が連続し

て起こります。この時機織田家の長老は平手中務丞

政秀が務めていましたが、長秀は冷静に着実に政秀

の政治手腕を身につけていきます。

 次の主要人物は織田三郎信長です。信長は天文三

年(一五三四)誕生(幼名:吉法師)なので、丹羽

長秀より一年年長です。当時信長の父信秀は存命で、

先祖は尾張国下守護代大和守家三奉行の一人であり、

代々「弾正忠」を継ぐという由緒正しい家系をまも

っており、信長もしばらくは父の元で領地の経営方

法を勉強していこうと考えていました。「父が平手

政秀の手腕を活かしたように、自分は丹羽長秀の手

腕を活かしていくのだ!」と考えていたのでしょう

か、「やをれ慥かに承れ、五郎左衛門!(いいかよ

く聞け五郎左よ!)」と叱咤激励し続けます。

 もう一人の主要人物は柴田権六勝家です。勝家は

誕生年・出自ははっきりしませんが、この後の進行

から見ると、織田信長より年上で直情径行の人物で、

また『義に生きる人』であることは間違いありませ

ん。そのため勝家の進む道はでこぼこがいっぱいで、

信長の家臣となるのはまだ少し先になりますが・・・

 クールに裏方役をつとめる丹羽長秀と領地経営の

見習い中ながらクレバーな織田信長とホットに行動

する兄貴分の柴田勝家と。いよいよ物語が始まりま

す!

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<JR岐阜駅前の黄金の信長公像>
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