『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

浅井長政(あさゐながまさ)[2/3]

2015-04-13 20:06:34 | 信長公記の蔵:人物篇
浅井長政(あさゐながまさ)[2/3]

〔現代かなづかい〕あさいながまさ


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


1570年5月信長の越前侵攻時、浅井長政が

    謀反を起こしたとき、朝倉景鏡は二万

    余騎で江州に出陣して信長を追撃し、

    垂井・赤坂に放火して帰陣。

1570年6月たけくらべ・かりやすを要害に構える

    も、堀秀村・樋口直房の信長方への離反

    により、信長が出馬するとすぐに開城。

    直後の姉川の戦いでは、後巻の朝倉

    孫三郎景健とともに戦う。


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