『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

平井久右衛門(ひらゐきううゑもん)

2019-02-01 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
平井久右衛門(ひらゐきううゑもん)

〔現代仮名遣い〕ひらいきゅうえもん


信長の臣。

1561年4月梅ヶ坪の戦いで、弓矢を上手に射て、敵

    からほめられ信長からも褒美をもらう。

1578年11月信長の荒木成敗に参戦。

1578年12月伊丹城に火矢を放って攻撃。

1581年2月京都の馬揃えで、平井久右衛門・中野重吉

    の二人が先払いをつとめる。


 ※あまりに弓矢を上手に射るものは敵味方関係

  なく称賛されるという、日本の軍の美しい習

  慣の一つです。

  <源平盛衰記 巻四十二>

  那須与一が平家が仕掛けた船上の扇をかなめ

  から射落とした時、平家側・源氏側どちらから

  も「あ、射たり」と称賛の声が上がった。

  <信長公記 首巻>

  堂洞攻めで太田牛一の弓が信長から称賛される。


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