『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

中川重政(なかがはしげまさ)

2018-06-28 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
中川重政(なかがはしげまさ)

〔現代仮名遣い〕なかがわしげまさ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


八郎右衛門。中川氏は織田信秀の弟信次の家

系。重政の時「中川」と改姓する。

1569年8~10月の伊勢攻略戦に参加。

1570年4月信長北陸朝倉攻めの後、安土城を

    守備。

1570年8~9月の野田・福島の合戦に参戦し

    「ろうの岸」を守備。

1571年9月志村攻めに参戦。

1572年3月木戸・田中に取手を造営し、守備

    を担当する。

その後領地のことで柴田勝家の代官と争い、

重政の弟津田盛月が勝家の代官を殺害した為、

罪に連座し改易追放。徳川家康の下に蟄居する。

1572年12月身方が原の戦いでは家康にしたが

って出動した。



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