『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

石河六左衛門尉(いしかはろくざゑもんのじょう)

2015-11-15 16:39:15 | 信長公記の蔵:人物篇
石河六左衛門尉(いしかはろくざゑもんのじょう)

〔現代かなづかい〕いしかわろくざえもんのじょう


 ※信長公記には登場しませんが、重要人物です。

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


三河衆。1535年井田野の戦いの時に顔を

十文字に切られ、首を半分切られ、体中

続いているところがないほどの傷を受けた

と言われる古つわもの。「三河物語」

(大久保彦左衛門著)の桶狭間の戦いの

場面に出てくる。


駿河衆が「攻め寄せてきている尾張勢は

多いの少ないの」下らない議論をしている

ところへ「高いところから敵勢を下に見た

場合数が少なく見えるもの。敵勢は五千

を越えている」と物申す。当時三河衆は

駿河衆に使われる弱い立場であったため

駿河衆は最初石河の言を無視する。次は

「棒山を攻めようか攻めまいか、城番を

変えようか変えまいかの詮議で時間を無駄

につぶす。こんなことをしていてはよい

ことが起きるわけがない。一刻も早く一度

引き退くべし!」と一喝し、今川義元の

軍が総崩れとなる場面で狂言回しとして

でてくる。



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