『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

万見重元(まみしげもと)

2019-06-25 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
万見重元(まみしげもと)

〔現代仮名遣い〕まみしげもと


仙千代。信長の小姓。

1578年1月信忠が昨年末信長から譲られた茶道具

    の名物を万見のところでお披露目した。

1578年6月羽柴秀吉が播磨へ戻る時の替り番を信

    長に命ぜられる。

1578年6月信長の指示により、兵庫・高砂間の警

    護に適した地の調査と足がかりの造営を

    行い、安土へ戻る。

1578年8月奥州から来た南部政直を自邸で接待。

1578年8月信長主催の安土の相撲に奉行として参加。

1578年10月荒木村重謀反のうわさが流れると、信

    長の指示で宮内卿法印・惟任光秀・万見重

    元が荒木の本心を確めに行く。

1578年11月信長の荒木成敗に参戦。

1578年12月伊丹城を鉄炮隊で攻撃。敵防御隊に討ち

    取られる。


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