『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

長命寺の日光(ちゃうめいじのにっくゎう)

2018-03-04 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
長命寺の日光(ちゃうめいじのにっくゎう)

〔現代仮名遣い〕ちょうめいじのにっこう

※下線部は信長公記以外の記事によります。


頂妙寺日珖。

蓮宗の僧。堺の豪商油屋の伊達常玄の子として

生まれる。はじめ同地の長源寺日沾に師事。17歳

のとき園城寺、比叡山に学びつつ神道をも修得。

その深い博識に嘆じた比叡山の師尊契は伝教大師

最澄ゆかりの神宝の紫袈裟を截して贈ったという。

興福寺にも学ぶ。

1555年京都頂妙寺三世を継承。一生のうち演説の

回数は485座に及ぶとある。

1558年師跡長源寺を再建するかたわら、河内の三

好一族の帰依を得ていった。


1579年5月安土宗論に法華方として参加し、宗論

    に負け浄土宗方から打擲される。

その後当初きわめて強硬な折伏主義をとっていた

日珖も通仏教的な摂受主義に転じ、山光院日詮、常光

院日諦とともに「天台三大部」を講じる三光無師会を

結成した。

1593年徳川家康を介して関東諸山の中山への介入を

抑制した中山輪番制をつくりあげた。

1598年死去。

著書に「己業記」「安土問答記録」などがある。



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