『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

渡辺弥一郎(わたなべやいちらう)

2020-03-10 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
渡辺弥一郎(わたなべやいちらう)

<現代仮名遣い>わたなべやいちろう


不詳。

1582年4月徳川家康の家臣渡辺弥一郎は、信長

    に浜名の橋・今切の由来等説明し、黄金

    を下される。


 ※家臣の渡辺弥一郎に浜名の橋・今切の

  由来を説明説明させる。駿河からそこ

  を通って進軍した今川義元は、桶狭間

  山で織田信長に討ち取られる。まさか

  徳川家康は、桶狭間山の近くで信長公

  を討つつもりだったのか・・


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