『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

池田恒興(いけだつねおき)[1/4]

2015-10-24 00:29:38 | 信長公記の蔵:人物篇
池田恒興(いけだつねおき)[1/4]

〔現代かなづかい〕いけだつねおき


※戦国期の人気武将の一人である池田恒興。

 記事も4回に分けて掲載です。


勝三郎。瀧川貞勝の子恒利が池田政秀の

婿養子となり、生まれた子が池田勝三郎

恒興。恒利の妻は信長の乳母となったので、

勝三郎は信長と乳兄弟ということになる。

1561年5月十四条の戦いで活躍。

1569年8~10月の伊勢攻略戦に参加。

1574年1月武田勝頼が岩村に進軍して明智城

    を攻囲すると、信長方も軍勢を出した

    が、飯羽間が明智城中で謀叛を起こし

    城が陥落したため、信長軍は退却する。

    退却時小里城を普請し城番として置か

    れる。

1574年7月信長父子の河内長嶋成敗に参戦し、

    信忠の軍勢として市江口を攻撃。


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