『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

柴田勝政(しばたかつまさ)

2017-07-22 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
柴田勝政(しばたかつまさ)

〔現代仮名遣い〕しばたかつまさ

※下線部は信長公記以外の記事によります。

三左衛門尉。佐久間盛次の二男で盛政の弟。

武勇に優れ勝家から柴田姓を与えられた。

1581年2月越前の柴田勝家・柴田勝豊・柴田

    三左衛門尉が京都の信長のもとへ参上

    し、珍奇のものを進上しお礼を申上。

1581年2月京都の馬揃えで、越前衆として参加。

1583年4月賤ヶ岳の戦いの敗戦後は金森長近の

元にあったが、のち許されて秀吉に仕え、1592年

正月従五位下・豊臣の姓を授けられた。



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