『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

湯川の衆(ゆかはのしゅう)

2020-01-17 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
湯川の衆(ゆかはのしゅう)

<現代仮名遣い>ゆかわのしゅう


1570年8~9月信長の野田・福島攻めの時、根来・

    雑賀・湯川・紀伊国奥郡の連合軍として

    兵2万鉄炮三千挺で野田・福島勢を加勢。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 祐乗坊(ゆうじょうばう) | トップ | 弓削家澄(ゆげいへずみ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事