『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

青山忠元(あをやまただもと)

2015-09-10 20:15:46 | 信長公記の蔵:人物篇
青山忠元(あをやまただもと)

〔現代かなづかい〕あおやまただもと


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


虎。越前丸岡城主宗勝の子。信長の近臣。

1578年1月元旦信長主催の朝の茶会の後、

    三献の儀のお酌をつとめる。

1580年3月本願寺顕如光佐は、7月20日まで

    に大坂を退出する旨告げ、下間仲之・

    下間頼兼・下間頼竜・北の方・門跡の

    連名で誓紙を提出。信長方青山虎が

    検使をつとめる。

1600年関ヶ原の戦いでは父宗勝と共に西軍

    に属し、戦後没落した。



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