7月26日~7月28日まで、宮城県石巻の仮設住宅に出張箱庭に行ってきました。
今年の宮城県は梅雨明けが遅く、雨が降ったり止んだりのお天気でした。
初日は大川小学校へ。
学校周辺の護岸工事は進み、校庭には犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑が
設置されていました。
ただ、敷地内の地面には上履きや文房具などが残っていて、
至る所に子供たちの面影がありました。
なぎ倒された渡り廊下や鉄骨が剥き出しになったままの校舎は、
その津波の恐ろしさを物語っていました。
また、野外ステージには卒業生によって描かれた宮沢賢治の「雨ニモマケズ」と
「銀河鉄道の夜」の壁画が色鮮やかに残っており、
なんともやるせない気持ちでいっぱいになりました。
2日目は、4回目の訪問となる一番谷地仮設住宅へ。
その日は仮設住宅のバーベキュー大会の日で、夜まで御一緒させていただきました。
午前中は集会場で子供たちが箱庭を体験しました。
箱庭のパーツを並べ始めると、さっそく品定めを始めました。
しばらく砂に手を入れて「気持ちいい~!」とその触感を楽しんでいる子もいました。
順番待ちをしていた女の子が、「前はこんなのを作ったよ」と、
ポケットアルバムに入れた前回の箱庭の写真を見せてくれました。
楽しみにしていてくれたんだなぁと嬉しくなりました。
夕方からいよいよバーベキュー大会が始まりました。
焼肉に焼きそば、沢山の野菜に手作りの御漬け物、
ワンボックスカーBarで作られる特製カクテル。
学校や仕事から帰って来た人達にもそれぞれ声を掛け、
どんどんと輪が広がっていきます。
「ここの仮設の人達は仲がいいんですね。」と伝えると、
「ここは元々同じ集落の人達がまとまって入れたからね。」とおっしゃっていました。
夜になって、ボランティアで定期的に子供達に勉強を教えに訪れているという
男性2人に逢いました。
子供達はそれぞれ夏休みの宿題らしきものを持って、
走って集会場へと集まって行きました。
帰り際、「秋には秋田のグループが来て『芋煮会』をするから、
それに合わせておいで。」と声を掛けて頂きました。
このように住民以外に継続的に関わる人がいる。それこそがこの仮設住宅の開かれた
雰囲気が作られている一つだと感じました。
また、仮設住宅を取りまとめている方が、部屋番号と各家族の人数を頭で
把握されていることにも驚きました。
こうやって中心となる方が居て一人一人に気を配り、
また外部との関係を円滑に進めているからこそイベントや行事が行われ、
その中で住民同士のコミュニケーションが図られ、
仮設住宅全体がいい雰囲気になっているのだと感じました。
3日目は大指十三浜こどもハウスへ。
2歳の男の子と参加して下さったお母さんが箱庭の砂を触って「気持ちいい、久しぶ
りです。この子は海の砂を触ったことが無いんです。連れて行ってあげたいんですけ
ど…」と話されていました。
こどもハウスは、津波によって遊び場や交流の場を失った子供たちのために、
遊びと学びの場を作ろうと2012年12月22日に完成したドーム型ハウスで、
仮設住宅に隣接した建物で天井も高く広々とした空間でした。
普段、子供たちが自由に利用したりお年寄りの憩いの場としても利用され、
定期的に来訪しているボランティアの美容師さんチームも
臨時の美容室として利用されているそうです。
ただ、やはり日頃忙しい大人達が維持管理して行くには難しい現状もあるようで、
このような建物を継続的に安全に活用していくにはどうしたらいいか?
帰りの車の中、それぞれが考えさせられました。
行くまでは、「私達に何が出来るのか?」という不安が常にありますが、
帰って来ると「とりあえず行くことが大事なんだね」と再確認します。
行く先々で、「来てくれるだけで嬉しい」との声を頂きました。
「忘れられてしまう事」それが被災地の方々にとっては
本当に辛い事なんだと思います。
箱庭で色んな方にお会いしてお話を伺い、
現状を垣間見ることで感じる事が沢山あります。
私達では解決出来る事ではないかもしれませんが、それを一人でも多くの方に伝え、
知ってもらい、忘れずに居てもらう事、それが私達の出来る事の一つだと考えます。
今年の宮城県は梅雨明けが遅く、雨が降ったり止んだりのお天気でした。
初日は大川小学校へ。
学校周辺の護岸工事は進み、校庭には犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑が
設置されていました。
ただ、敷地内の地面には上履きや文房具などが残っていて、
至る所に子供たちの面影がありました。
なぎ倒された渡り廊下や鉄骨が剥き出しになったままの校舎は、
その津波の恐ろしさを物語っていました。
また、野外ステージには卒業生によって描かれた宮沢賢治の「雨ニモマケズ」と
「銀河鉄道の夜」の壁画が色鮮やかに残っており、
なんともやるせない気持ちでいっぱいになりました。
2日目は、4回目の訪問となる一番谷地仮設住宅へ。
その日は仮設住宅のバーベキュー大会の日で、夜まで御一緒させていただきました。
午前中は集会場で子供たちが箱庭を体験しました。
箱庭のパーツを並べ始めると、さっそく品定めを始めました。
しばらく砂に手を入れて「気持ちいい~!」とその触感を楽しんでいる子もいました。
順番待ちをしていた女の子が、「前はこんなのを作ったよ」と、
ポケットアルバムに入れた前回の箱庭の写真を見せてくれました。
楽しみにしていてくれたんだなぁと嬉しくなりました。
夕方からいよいよバーベキュー大会が始まりました。
焼肉に焼きそば、沢山の野菜に手作りの御漬け物、
ワンボックスカーBarで作られる特製カクテル。
学校や仕事から帰って来た人達にもそれぞれ声を掛け、
どんどんと輪が広がっていきます。
「ここの仮設の人達は仲がいいんですね。」と伝えると、
「ここは元々同じ集落の人達がまとまって入れたからね。」とおっしゃっていました。
夜になって、ボランティアで定期的に子供達に勉強を教えに訪れているという
男性2人に逢いました。
子供達はそれぞれ夏休みの宿題らしきものを持って、
走って集会場へと集まって行きました。
帰り際、「秋には秋田のグループが来て『芋煮会』をするから、
それに合わせておいで。」と声を掛けて頂きました。
このように住民以外に継続的に関わる人がいる。それこそがこの仮設住宅の開かれた
雰囲気が作られている一つだと感じました。
また、仮設住宅を取りまとめている方が、部屋番号と各家族の人数を頭で
把握されていることにも驚きました。
こうやって中心となる方が居て一人一人に気を配り、
また外部との関係を円滑に進めているからこそイベントや行事が行われ、
その中で住民同士のコミュニケーションが図られ、
仮設住宅全体がいい雰囲気になっているのだと感じました。
3日目は大指十三浜こどもハウスへ。
2歳の男の子と参加して下さったお母さんが箱庭の砂を触って「気持ちいい、久しぶ
りです。この子は海の砂を触ったことが無いんです。連れて行ってあげたいんですけ
ど…」と話されていました。
こどもハウスは、津波によって遊び場や交流の場を失った子供たちのために、
遊びと学びの場を作ろうと2012年12月22日に完成したドーム型ハウスで、
仮設住宅に隣接した建物で天井も高く広々とした空間でした。
普段、子供たちが自由に利用したりお年寄りの憩いの場としても利用され、
定期的に来訪しているボランティアの美容師さんチームも
臨時の美容室として利用されているそうです。
ただ、やはり日頃忙しい大人達が維持管理して行くには難しい現状もあるようで、
このような建物を継続的に安全に活用していくにはどうしたらいいか?
帰りの車の中、それぞれが考えさせられました。
行くまでは、「私達に何が出来るのか?」という不安が常にありますが、
帰って来ると「とりあえず行くことが大事なんだね」と再確認します。
行く先々で、「来てくれるだけで嬉しい」との声を頂きました。
「忘れられてしまう事」それが被災地の方々にとっては
本当に辛い事なんだと思います。
箱庭で色んな方にお会いしてお話を伺い、
現状を垣間見ることで感じる事が沢山あります。
私達では解決出来る事ではないかもしれませんが、それを一人でも多くの方に伝え、
知ってもらい、忘れずに居てもらう事、それが私達の出来る事の一つだと考えます。