いち・に・山歩!! 

街・山、名所・イベント等、様々な場所に出没!
『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

旅行記その① 晩秋の小京都津和野 (前編)

2007-11-21 22:45:54 | お泊り旅行記(2006~)

訪問日時:2007-11-21~25

 仕事を定時で上がらせてもらって自宅に寄り、荷物を持って駅で“ゆきさん”(カミサン)と合流して新宿発の夜行バスに乗った(写真は車中)。
 旅の当初の予定は以下に。

【11月21日(水)】
 19:10新宿南口発(津和野行き夜行バス)
【22(木)】
 9:20津和野着(食事:“蕗御飯”と“うずめ飯”)
 (津和野観光:町内・太鼓谷稲成神社散策)
  ↓(路線バス)
 萩バスセンター着
 宿に宿泊
【23(金)】
 (萩観光)
 萩バスセンター発
  ↓(路線バス)
 新山口駅
  ↓(新幹線)
 広島駅(夕食:お好み焼き)
 宿に宿泊
【24日(土)】
 平和記念公園見学
  ↓(水上バス)
 宮島(宮島散策・食事:穴子飯)
  ↓
 広島駅(夕食:牡蠣尽くし)
  ↓(夜行特急はやぶさ)
【25日(日)】
 新横浜着

 車中で迎えた夜明け。
津和野(島根)行きのバスで、益田や浜田等のバス停が途中に有るのだが、駅前や周囲に民家も無い山中等、止まる場所は様々。
少し歩けば集落や大きな道が有るのかも知れないが、
 「こんな山中で降りてどうするのだろう?」
と言う停留所も有った。
 因みに浜田で降りる方が大半で、津和野迄行くのは我々2人だけだった。
観光客より帰省や東京への用事を終えた帰りと言う感じの客の方が多い様だった。
津和野やこの地区への観光は閑散期と言う事なのか、はたまた元々其れ程訪れる人が居ない場所なのかは分からない。
まぁ、普段の山歩き同様人と会わないのは慣れている。
何時も通り今回も
 「変わった時期に変わった場所に行く変わり者」
なのかも知れない・・・。


 津和野到着!
日曜には観光用SLが走るせいか、SL(写真右端)が展示されていました。
別に鉄道ファンではないが、走っているSLを1度は見てみたいものです。
乗ってみたいけど、乗っていると走っている外観を見る事が出来ないからなぁ。
SLと言うと年齢のせいか銀河鉄道スリーナインが浮かんで来る。
鉄道での旅への憧れは、スリーナインが原因だろうか?
他の星への鉄道旅行は無理だとしても、日本一周や大陸横断・・・時間とお金が有ればやってみたいものだ。
・・・然し、語学力が問題か・・・・。

 此れが津和野駅。
 この年は稀に見る暖かさの為、関東でも12月迄落葉樹が葉をつけていました。
この地域の11月末であれば、本来落葉の時期を迎えていると思いますが、御覧の様に山々の木々は葉を付けていました。

1.【津和野ガイド】
 初日は津和野観光をした上で14:50分のバスに乗って萩に向かうので、念入りに下調べをしておきました。
ガイドブックも有りましたが、津和野の歴史・名物・特産物、大体の街の形・道を頭に入れ、自分で作ったメモも持参しました。
此処では少しばかり津和野の説明を

【歴史】

 津和野は山陰の小京都と呼ばれ、古い街並みが残る津和野藩の城下町で、島根・山口の県境に位置し、津和野川沿いに細長く伸びる盆地の街です。
語源の「ツワブキの生い茂る野」が「つわぶきの野」⇒「つわの」になったとの事。

 津和野城は、吉見頼行が元寇警備の為に1282(弘安5)年に地頭として石見に着任した際に建てられ、吉見氏は、その後、中国地方の名家大内氏の傘下に入り、大内氏が家臣の陶晴賢(すえはるたか)に因って滅ぼされた後は毛利氏配下の武将になったとの事。
その中で津和野は中世の集落から城下町へと変貌していったそうです。

 吉見氏が主家毛利氏の萩への移封に随った事で津和野の統治を引き継いだ坂崎出羽守は、「千姫事件」で失脚する16年の間に

 「津和野城の大改築と城下町の骨格作り
 「新田開発と灌漑用水路の建設
 「和紙の原料である楮(こうぞ)苗の栽培と鯉の養殖

と言う「その後の津和野繁栄と現在の姿の基盤構築」を行いました。

 坂崎氏の後は因州鹿野城主亀井氏が藩主として着任し、着任当初4万3千石の石高を実録15万石と言われる程に繁栄させました。
その後8代矩賢藩校「養老館」を創設。
11代茲監は藩の機構改革を実施して人材育成に力を注いだ。
 明治維新後に森鴎外、近代日本哲学の祖である西周、国学者の福羽美静を輩出した地としても有名。

【津和野城】

 津和野盆地の南西部、標高367mの山頂に築かれ、国の史跡に指定される中国地方を代表する山城。
元寇に備えて着任した吉見氏が30年を掛け築城され、吉見氏に統治の300年あまりの間に幾度も改良工事がされ、城の規模は拡大。
 大内氏を滅ぼした陶晴賢の軍勢に包囲されたが、100日以上に及ぶ籠城戦で撃退した。
 廃藩置県に因り廃城になって石垣が残るのみだが、麓から観光リフトで登る事が出来、石垣の上から津和野盆地を眺める事が出来る。

【乙女峠】

 明治元年に長崎から送られて来た隠れキリシタンが津和野藩に改宗するよう拷問を受けた地で、命令に随わず36名の方が命を落とした。
見学は無料で、昭和23年建立のマリア聖堂のステンドグラスに悲しい歴史が描かれている。

【弥栄神社】

 祇園祭の神事で7月に行われる国の無形民俗文化財「鷺舞(さぎまい)」の舞台。

【嘉楽園】

 津和野藩主亀井氏の藩邸跡に造られた期間限定で開園の庭園。
平成18年秋の開館後は、平成19年5月に開館予定。

【西周 旧居】

 哲学者西周(にしあまね)が21歳迄過ごした家で、茅葺の母屋と勉強部屋に使用した土蔵、土塀が現存。

【鷲原八幡宮】 
拝観自由。
 城の守護神として城山の南西麓に創建され、鎌倉の鶴岡八幡宮の流鏑馬を模した日本で唯一現存する流鏑馬の馬場が有る。

【覚皇山 永明寺】

 歴代城主の吉見・坂崎・亀井氏の菩提寺。
「石見人 森林太郎」と彫られた森鴎外の墓もこの寺に有る。
 拝観は8:30~17:00、大人¥300、中学生¥200、小学生¥100

【堀庭園】

 2005年に文化庁から名勝指定を受けた紅葉の名所である豪族堀氏の庭園。
開館時間・料金は以下に。
 8月1日~11月末日迄開園 2月1日~7月末日迄休園
(10・11月:8:00~17:00(無休)高校生以上¥500、中学生¥250、小学生¥250)
(12・9月:8:00~16:00(月曜休み))
(10月・11月以外:高校生以上¥300、中学生¥150、小学生¥150)
 ※月曜日が祝日の場合は翌日休み。

《催事》
【乙女峠まつり】
 キリシタン殉教者の霊を慰める祭りで、毎年5月3日開催。
津和野カトリック教会から乙女峠へ聖母マリア像を中心に巡礼の行列が続く。
普段は静寂に包まれる峠に殉教者に捧ぐ聖歌が響く。

【鷺舞】

 城主吉見正頼(11代)が1542(天文11)年に京都から移し入れた芸能神事で、毎年祇園祭りの7月20日(御神幸の日)27日(御還幸の日)に町内11ヶ所の定められた場所で舞う。
 坂崎氏の代に一時中絶したが、亀井茲政(2代藩主)が1643(寛永20)年に人を京都に派遣し、京都祇園会の鷺舞を直接習得させて復興させた。

《特産品》

・石州和紙

《名物・郷土料理》

・蕗料理、蕗飯、うずめ飯、源氏巻

(旅行記 その②へ続く)



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