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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

秋の京都旅行 その⑤大原散策 ~大原 三千院 2008.11.13(木)

2010-04-18 21:15:00 | お泊り旅行記(2006~)

2008-12-18 22:23:51
 京都旅行2日目は大原散策。
宿は三千院から徒歩で10分程度の場所に有りました。
夕方には嵐山の宿に移るのですが、重い荷物を持っていては散策は出来ないので、宿にお願いして荷物をそのまま預かってもらいました。

 写真は三千院手前の参道。
御土産物店や食堂が建ち並んでいます。

 三千院門で、御殿門です。
集合写真の場になっており、正面から門を撮影出来ない、門を眺める事が出来ないのが残念。  

 三千院は御殿門を潜って直ぐ様参詣のチケットを購入する受付が有ります。
そして建物に入るのですが、庭園が綺麗な事でも知られています。
 此処では抹茶を頂く事も出来、抹茶を頂きながら庭を眺める事も出来ます。
唯、団体客が次々にやってくるので、騒々しい場所なのが残念。
皆さんもう少し静かにドタバタと大きな音を立てて歩いたり、走り回らないで欲しいと思いました。
スケジュールが忙しいツアーの様で、大急ぎで廻られているツアーの方々も居られましたが、そう言った方々を見ていると、「個人で宿を取って良かった」と感じずにはいられませんでした。

 この手前に籤引き(くじびき)を考案したと言われる住職の像が有ります。
籤引きの起源が分かり、勉強になりました。

 JR東海のCMで流れる三千院の映像は、この庭から往生極楽院と言うお堂を撮った物です。
此処の苔の緑と紅葉の黄色が兎に角美しくて、しばし見惚れていました。

 写真奥が往生極楽院。
苔の緑が鮮やかです。
秋だけれど、色褪せる事はなく、四季を通じて緑なのかな?

 苔の真ん中に道が有るので、左右には苔と紅葉が広がっています。
この構図は見事。

 振り返るとこんな具合。
先程迄居た「しん殿」です。

 往生極楽院の正面から。
この建物の裏に先程の苔と紅葉が有ります。
お堂の中には阿弥陀三尊像が居り、「しん殿」に背を向けて朱雀門の方を向いています。
因みに受付と御殿門は写真の左手の方。
此処で説法と言うか、お堂の様子についての案内が有ります。

 往生極楽院は、寺伝に因ると986(寛和(かんな)2)年に恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が姉の安養尼(あんように)と共に父母の菩提の為に建立したとの事。
高さの有る国宝の阿弥陀三尊蔵を納める為に天井が船底を逆さにした様な丸みを帯びて中央部が高くなっている「船底型天井」と言う建築様式にしました。
堂内の壁面や柱、天井には、鮮やかな極彩色(ごくさいしき)で描かれた青色を背景に、極楽浄土に舞う天女や多くの菩薩が描かれていたのですが、現在は色褪せて消えてしまったものも多く、一部に面影が残っているのみです。
此れを再現した物が「円融蔵(えんにゅうぞう)」の展示室に有ります。

 ここで説明をされていたお寺の方の話が上手で、面白かったですね。
関西弁?京都弁なのか、他の地域なのか神奈川の自分には分かりませんが、話のテンポとその口調、時折入れる冗談が方言の効果も有って非常に面白い。
真面目な話の部分も有るのですが、澄ました感じの有る東京弁と異なり、気楽に頭に入って来る感じでした。
此れは真似しようと思っても神奈川育ちの私には無理。
「関西の言葉の良さ」を身をもって感じましたね。

 話のごく一部を抜粋させていただきます。

 「(描かれた絵を説明しながら、極楽の世界、死後に見る世界を述べ)・・・と、こうなっているそうです!」
 (と、人事の様に述べ、真面目に聞いていた方々から笑いが起きました。)
 「『そう』と言うのは、私も見てきた訳ではないですから!」
 (また笑いが起き、)
 「皆様方が亡くなられ、行かれた際に『お前はこうだと言ったけど、全然違うじゃないか』と仰るかも知れませんが、その場合は私に教えて頂ければと思います。
でも、今迄私の所へ来られた方は居ないんですけどね・・・」
 (また笑いが・・)

 「(菩薩の説明や死後に受ける様々な案内や施される世話を述べ)大事な方が生きている間は直接お世話が出来ますが、亡くなられた後はそう言った事は出来ません。あの世ではきちんと案内や世話がされますので、この世に残された者が出来る事は『私は世話が出来ないのだから、後は頼みます』と、お願いをする事だけです」

 「人生を『本番』と思われている方が居られますが、人生は極楽に行ってからの為の予行練習なのです。そう考えれば楽になるでしょう」

 とても話が上手な方で、こう言った方は良い説法をされる様になるのでしょうね。
宗教色が強過ぎない点が良かったですし、宗教的な事も客観的に述べていた事で受け入れ易かったですね。

 往生極楽院を正面から。


 もう少し離れた位置からの方が建物と苔生す地面、紅葉の全てを入れる事が出来ます。
JR東海のCMは、中央の道のお堂から少し離れた場所でクレーンを使って撮影したのだと思います。
 映像や写真は、綺麗な部分だけを入れ、写っていない部分もその綺麗な物が続いている様に思わせて感動を誘いますが、この三千院は今迄見てきた映像や写真以上に美しい物でした。
春の新緑、梅雨の雨、夏の緑が眩しく陽が差し込む姿、秋の紅葉、冬の雪が積もる姿・・・何れも美しい物でしょうね。
秋にしか訪れていませんが、秋の紅葉が一際美しいと思います。

 往生極楽院正面の苔庭です。
此処の地面には、とても可愛らしい子達が居るのです。
分かるかな?
写真の真ん中の2つの小さい石と手前の1つの丸っこい石に注目!

 アップで撮るとこんな感じ。
この子達は「わらべ地蔵」と言います。
此処に置かれた謂れについては記されていませんでしたね。
それとも見落としたのかな?

 光源不足でぼけてしまったのが残念ですがなんとも可愛らしいほのぼのする姿。
綺麗に撮影されている他の方々の写真を御覧になる事をお薦めします。


 わらべ地蔵は苔庭の彼方此方に点々と有るのですが、撮影に向かない遠くに有る物も。
 この写真の何処に居るか分かりますか?


 応えは杉(檜かも?)の根元。
この子は立っていますね。
 お寺の小坊主なのか、水子なのか、極楽に居る子達なのか、はて?

 でも、こう言った身近な親しみの持てる姿のお地蔵様って好きだなぁ。
貫禄の有る姿も有難みが有るけれど、街道や山道、集落の道端に有るお地蔵様は、親しみの持てる姿の方が愛着が湧くなぁ・・・。


 階段の上は観音堂と金色不動堂、写真の二十五菩薩石庭が有ります。
此方は陽が射す明るい場所です。

 左手の斜面下には売炭翁石仏が居り、柱等に参拝された方が結ばれた布が有りましたが、其処に記された文章を読みながら先程のお寺の方の御話を思い出しました。
参拝は家族旅行であったり、父母への感謝を兼ねた旅行であったり、亡くなった父母を弔う物であったりと、理由は様々な物が有りました。
皆さんその後どうお過ごしになられているのでしょう?

 想いや願いは多少ならずとも叶えられたのでしょうか?
 苦悩は幾分かでも軽くなった、昇華出来たのでしょうか?

 「生きている間は直接お世話が出来ますが」
と言う話を思い出しました。
人生は予行練習と思えば気が楽だけれど、練習って大事ですよね。
無駄にせず、一瞬一瞬を大事に、精一杯過ごそうと思いました。
思いっきり楽しみ、悲しみ、笑い、泣き、満足し、悩み苦しみ、走って、休んで・・・。
濃厚で様々な事が詰まりに詰まった野太い物にしたいですね。

 そんな事を思った三千院への訪問でした。



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