栄枯盛衰 昔の面影と現状を尋ねて その①
(神奈川県:日向薬師~日向山~浄発願寺奥の院 2010.1.11(月)2人)
伊勢原市の日向薬師と、日向薬師の裏手に有る日向山から浄発願寺の奥の院を歩いて来ました。
日向薬師は行基(※1)のよって716年に開山され、日本三大薬師(※2)、武相四大薬師(※3)の1つに数えられる寺院。
源頼朝が1194年に娘である大姫(※4)の病の平癒を祈願しに自ら訪れた寺院でもある。
写真は山門の仁王像。
この仁王像は1830(天保元)年に消失した後、1833(天保4)年に後藤慶明によって復元された物で、伊勢原市指定文化財に指定されている。
此れは我が家の仁王様。
私にとって、どっちの方が怖いかは・・・ノーコメントで・・・。
日向薬師は、嘗ては子院13坊を擁する大寺院であったが、廃仏毀釈でその多くを失った。
現在残るのは本堂と宝物殿だけだが、境内は広く、山門から本堂迄は結構な距離が有る。
私とカミサンは山門から本堂迄の雰囲気がとても気に入っている。
箱根の杉並木と言ったら大袈裟だが、巨木の間を参道が延びている。
綺麗に掃き清められた道の脇では石仏が道行く人々を見守っている。
境内はとても静かだが、嘗ての繁栄振りやこの寺が持つ歴史や品格と言う物を感じる事が出来る。
前回は彼岸花祭りの最中に訪れたので、そこそこの賑わいであったが、この日は我々以外に3~4人の参拝者が居ただけ。
土日でも、普段はこの様に非常に静かな場所の様だ。
本堂の左側に茶屋とトイレが有り、その先の出口の向かいに登山道の入口が有る。
最初に日向薬師に登った際は、登山道入口の直ぐ咲きから急な斜面を登ったのだが、その道は立入り禁止になっていた。
分岐に有る道標は、山腹を進んで梅の木尾根に出る表示だけが付いており、山頂へ向かう案内板だけ取り外され、山頂への道の入口は鎖で閉ざされていた。
崩落で廃道となったのか、寺や私有地を通過する点で問題が生じたのだろうか?
山頂へは、山腹を行く道をそのまま西へ直進し、一度梅の木尾根へ出てから尾根を東(日向薬師方面)に行く事になる。
遠回りだが、止むを得ない。
写真は日向山山頂。
山頂には祠が有る。
記憶では崩れた祠だったと思ったが、此れは新設された新しい祠ではない。
どうやら私の記憶が間違っていた様だ。
何処か他の山の記憶が混ざったのだろう。
実は、この地域ではこの日遭難者の捜索が行われていた。
日向薬師のバス停には県警の車が止まっており、警察犬を連れた警察官が捜索の準備をしていた。
山中でも警察犬を連れ、手に持ったビニール袋に手掛かりとなる遭難者の靴を入れた捜索隊に道を譲ったのだが、その際に
「30過ぎのジーパン姿の男性を見ませんでしたか?」
と尋ねられた。
上空には捜索ヘリが飛んでおり、尾根や沢筋を1箇所1箇所上空から調べていた。
この日の山歩きの安全祈願をすると共に、遭難者の無事を祈らずには居られなかった。
山頂から東側の眺望。
日向山の山頂は、眺望に恵まれない。
冬場ですらこの程度だ。
葉が茂る春~秋は木々の上の部分しか見えない。
まぁ、強い日差しを遮り日陰の山、尾根歩きが出来る点では良い。
唯、近年東丹沢で猛威を振るうヤマビルは、此処でも出る。
7~8年前迄は、梅雨時や真夏でも気にせずに歩けたが、現在はチョット・・・。
何とも残念だが、冬~春限定の場所になってしまった。
山頂を後にして梅の木尾根を西へ向かう。
この辺りの尾根道は椿の木が多い。
写真の青々とした葉は椿の葉だ。
椿は強い木なのだろうか?
周囲は植林で日当たりは悪く、其れで居て風が抜けるので尾根の周囲の低木・草は地面を這う様に斜めに延びている。
地面は登山者に因る踏み固めによって土が固く、乾燥している。
そう言った環境化でありながら、椿だけが平然と群生している。
椿が強いのか、こう言った環境が合っていると言う事なのか?
適地は夫々の植物・動物によって異なる。
我々人間も暑がり・寒がりが居て「適温」も各自異なる。
プレッシャーに弱い者も居れば、本番になると力を発揮する者も居る。
私は前者であったが、近年プレッシャーやら緊張やらに縁が無い。
「年と共に貫禄が出て、人として大きく成長した」
・・・残念ながらそうではないと思う。
どちらかと言うと、「図太くなった」、「鈍感になった」と言う方が正しい。
そして「楽観主義」、「適当(好い加減)になった」と言うのも大きい。
胃炎も最近は随分と良くなった。
別段何かを変えた訳ではないので、「胃炎の改善」と言うのは、心身共に完全に「楽観主義で好い加減な人間」に生まれ変わりつつあると言う事の証しなのだろう。
私の適地はどう言った環境だろうか?
図太く、鈍感になり、楽観主義で好い加減になった私にとっては、適地が広がった様に思えるが・・・。
因みにお風呂の温度は、年々適温が上がっている。
矢張り「鈍感になっている(老化?)」と言うのは、間違いない様だ・・・。
尾根を進んで行くと数組のパーティーが休憩を取れそうななだらかなそこそこ広いピークに到着する。
道標の中央には手書きで537mピークと記されているが、白インクでその上から消されている。
537mピークは、更に先の狭い小ピークだと思うので、どうやら此れは誤りの様だ。
山中には、作業用の経路が多数有るが、大半は入口に「立ち入り禁止」の看板が建てられてる。
然し、このピークの直ぐ下、日向山よりの場所は注意が必要だ。
日向山から来た場合は問題無いが、逆から来た場合は、木々によって進むべき尾根上の踏み跡(右手)が見え難いのだ。
そして正面にはしっかりと踏み跡が有る幅の広い下り坂の道が延びている。
きちっと地図を見ていれば、歩くのは尾根伝いである事が分かるのだが、しっかりと確認していないとこの踏み跡に入り込み易い。
人と会わない山中では、気分良く歌を歌っていたり、何か発見が無いかと下ばかり見ている私の様な人間は、特に間違い易いと思う。
注意が必要だ・・・って、そんな奴は私ぐらいか?
このピークの広場の中央にシンボルツリーが有る。
写真の樅(もみ)に似た巨木だ。
大人2人が抱きついても、2人の手が届くかどうかと言う太さ。
周囲は檜の植林なので、敢えて伐らずに残しているのだろう。
出来れば、このままこのピークを見守る木として残して欲しいものだ。
この先に有るベンチの有る狭いピークが537mピークだと思う。
写真右端の看板が、彼方此方に設置されている作業経路の入口を示す「立入り禁止」の看板。
この辺りは北側の眺望が良く、向かいの尾根や山腹が良く見える。
登山道の無い山だが、尾根はなだらかで良い感じだ。
歩いてみたくなる尾根が幾つも見えた。
此処が直進して大山へ向かう道と左折して浄発願寺奥の院へ向かう道、右折する作業経路が合流する地点。
テーブル付きのベンチが1つ有り、少し開けていて明るい場所だ。
今日は此処で昼食を摂った。
初めて来た時は大山へ向かう予定だったのだが、何処でどう間違ったのか、浄発願寺奥の院へ出てしまい、疑問に思ったものだ。
その謎がこの日判明した。
私は此処で左折したのだが、本当は直進しなければいけなかったのだ。
写真の道標は、今迄歩いて来た「日向薬師」と左折する「浄発願寺奥の院」だけを記している。
然しその奥の小さな白い立て札が見える。
その立て札が此れ。
手作りの手書きの道標で、「初心者不可 大山・唐沢峠 尾根を登る 右は作業道」
と記されている。
良く見ると直進する踏み跡がうっすらと有る。
此れは分かり難い。
此処から大山へ延びる尾根は一般的な登山道ではない。
整備もされていないし、県が設置した道標も無い。
途中唐沢峠へ出る迄、エスケープルートも無いし、読図が出来、充分な装備を有する者だけが通る事を許される道だ。
迷っても通る人が稀な為、人に出会って道を聞く事も出来ない。
遭難何てもっての他だ。
道の入口に気付かずに此処で左折したのは、今思うと良かったのだと思う。
しっかりと情報を集め、計画を練った上で歩いて見たい場所の1つではある。
この日のお昼はアルファ米にレトルトの親子丼をかけた物。
とっくに賞味期限が切れたアルファ米だが、味がおかしい事はなかったし、お腹がおかしくなる事も無かった。
「何事にも鈍い奴だから平気だった」
と言われそうだが、カミサンも同じ物を食べたが何とも無かった。
「似たもの夫婦」、「ペットは飼い主に似る」と言う言葉が有る。
どちらが「ペット」かは敢えて言うまでも無いか・・・。
出来上がる迄に時間がかかるが、アルファ米の出来に感心した2人であった。
アルファ米は、床に落としたり、服に付いたのに気付かず、気付いた時には乾燥してカチカチになった御飯粒にそっくりだ。
其れが見事に食べられる御飯になる。
何とも驚きだった。
「やり様によっては、あのカチカチになった御飯粒も再生出来るのか?」
何て事を考えるのは、食べ物に卑しい私だけだろうか?
(エネルギー補給をすませ、後半戦に続く)
※1「行基」生没668~749。奈良時代の僧
※2「日本三大薬師」 他の2つは柴折薬師(高知県大豊町)・米山薬師(新潟県上越市)
※3「武相四大薬師」 他の3つは峰の薬師(相模原市)・高尾山薬王院・新井薬師
※4「大姫」生没1178~1197。源頼朝の長女で母は北条政子。源義仲の息子の義高と婚約するが、義仲が頼朝軍に敗れた事で義高が処刑され、その事から心の病になったと言われる。その後縁談話を断り、僅か19歳で亡くなった。墓は常楽寺(鎌倉市大船)に有り、大姫の守り本尊であった地蔵を祭った岩船地蔵堂が鎌倉の扇ヶ谷に有る。
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