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京都市響第685回定期(1月20日)

2024年01月23日 | コンサート
沖澤のどかを追いかけて本拠地京都にやって来た。京都のお洒落な街北山にある京都コンサートホールで開催された彼女が常任指揮者を務める京都市交響楽団の1月定期演奏会である。先日の東京シティ・フィルへの客演時と同様のフランス物を並べたプログラムだ。最初は滅多に生で演奏されることのないアルチュール・オネゲルの交響曲第5番「三つのレ」である。どの楽章も消えるように終わりはするが、作曲当時の不健康な健康状態の悲壮感よりむしろオネゲルの精緻な筆致をよく表した演奏だった。そして迷いのない棒による推進力からは秘めた力さえ感じさせられた。二曲目はハープ独奏に吉野直子を迎えてフランスの女流作曲家ジェルメーヌ・タイユフェールのハープと管弦楽のための小協奏曲。美しい佳作ではあるが、いかんせん演奏のせいか、はたまた聞いた場所のせいか、独奏ハープの音が聞こえづらく聴覚上のバランスがとても悪く余り楽しめなかった。むしろこの楽器の持つ華やかさを封じ込めたような筆致のせいが大きかったのかもしれないと思った。吉野の実力はむしろアンコールのマルセル・トウルニエの”朝に”で示された。これは文句なくハープの持ち味を存分に楽しめる華やかで美しくかつ繊細な演奏だった。休憩を経て、ジャック・イベールがパリからスペインを経てローマに向かう船旅で各地を回った印象に基づいて書かれた3曲なら成る組曲「寄港地」だ。京都市響の瑞々しくしなやかな弦がとりわけ印象的だった。最後はモーリス・ラヴェルの「ボレロ」。沖澤はプレ・トークで今回は初版の譜面通りの一般より遅めのテンポで演奏すると言っていたが、むしろ目立ったのはその正攻法な姿勢だった。芝居じみた外連味を一切排して最後まで極めてスタイリッシュに振り抜いた爽やかな今の彼女らしい「ボレロ」だった。鳴り止まぬ拍手に、元旦に起こった能登地方の震災・津波の犠牲者に思いを寄せつつ、徳山美奈子の交響的素描「石川」より第2楽章「山の女」”山中節より”が奏された。(沖沢は若い頃OEKで修行したことがあったそうで、今回の災害には只ならぬ思いがあったであろう)

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