最近、ぜんぜん吹いていなかったオカリナを、また吹いてみました。
楽譜は、映画「タイタニック」のテーマです。いい曲ですよね。
そして、これは、塗り絵の本です。
今までは、「塗り絵なんかやったってしょうがない」と、本屋で見かけても無視していたのですが。
これまで気にかけていなかった、音楽や絵に関すること、
無駄だと思っていたことに、目が向くようになりました。
それだけ、気持ちにゆとりが無かったのかもしれません。
無駄なことって、けっこう大事なんですよね。
最近、ぜんぜん吹いていなかったオカリナを、また吹いてみました。
楽譜は、映画「タイタニック」のテーマです。いい曲ですよね。
そして、これは、塗り絵の本です。
今までは、「塗り絵なんかやったってしょうがない」と、本屋で見かけても無視していたのですが。
これまで気にかけていなかった、音楽や絵に関すること、
無駄だと思っていたことに、目が向くようになりました。
それだけ、気持ちにゆとりが無かったのかもしれません。
無駄なことって、けっこう大事なんですよね。
愛用の、ファーウェイ社のタブレット端末(裏側)です。
いつ頃購入したのか、もう忘れてしまったものです。
現在のアンドロイド端末はバージョン9~10くらいが主流のようですが、
これはバージョン6です。
よくまあ、使い込んだものです。
最近、誤動作したり、反応しなかったりすることが多くなり、
思い切って買い換えることにしました。
それでも、これで他の方のブログを見たり、電子書籍を読んだり、
メルカリを使ったりと、ずいぶん活躍しました。
それにしても、涼しくなりましたね。
エアコンの出番も、冬の暖房まで、しばらく無さそうです。
先日、甥っ子が久しぶりに遊びに来ました。
中学生になって、すっかり足が遠のいていたので、「どうしてるかな」と思っていたのですが。
まあ、いつまでもジジババの家に入り浸っているようでは困るんですけどね。
学校に部活にと、毎日忙しいようですが、
担任の先生のことは「ウザいハゲ」とか言っています。
そんなことを言うようになったんですね。まあ生意気盛りですからねー。
すっかり思春期の少年ですね。成長したもんです。
赤ん坊だったのが、つい昨日のことのようです。
「あの人、あの時アレになったよね」
テレビを見ていた母が突然言い出しました。
…はあ?
「アレ、アレ。ほら、あの時」
何を言っているのですかね?
「アレって何だよ」
「ほら…NHKの」
朝ドラの、広瀬すずの妹を演じた女優さんのことを言っていると思われます。
…慣れというものは恐ろしい。
最近では、代名詞だけでも何となくわかるようになってしまいましたよ。
芸能人の名前だけではなく、ごく普通のものの名前も、出て来づらいようです。
「冷蔵庫の中のアレ出して」
「トコロテンか?」
「違う違う」
「ギョーザ?」
「違うよ。あー出てこない」
「じゃあ酢豚だな」
「そうだ!」
頭の中のイメージはあるようです(笑)
「私が認知症になったら、じじいは特養(特別養護老人ホーム)に入れてくれ」
母はそう言っていますが…
僕としては、父の介護が終わったら、
母には、母の人生を楽しんでほしいんですけどね…
僕はなぜ、小説を書くのでしょうか。
ご存じのとおり、前回の応募では、僕の小説は落選しました。
それでも、書き続けたいと思い、いつかは小説家としてデビューしたいと思っています。
なぜでしょう?
それは、僕にとっては、小説を書くことは、最も現実的で、堅実な道だからなんです。
「そんなことはないだろう。小説家になるのは並大抵のことではない。ほとんどの人にとっては夢物語だ」
というご意見があることは承知しております。そして、それはまったく、正しいと思います。
しかし、僕のような精神的もしくは知的に障害のある人が、普通の企業で働くというのは、
たいへん難しいのです。
もちろん、政府の方針で、企業は一定の人数の障害者を雇わなければならないことになっていますが、
実際、そのとおりにしている企業はほとんど無いし、好きこのんで障害者を雇う企業はありません。
まして、同じ職場に精神病患者が入ってきて、喜ぶ人は誰もいないと思います。
就職したばかりに、病気をこじらせてしまい、結局、職場も辞めざるを得なくなった、
そういう人は数え切れないほどいます。
障害者の自立ということをうたった、専門の作業所のようなところもありますけど、
そういうところは、大抵はとんでもない薄給で、自立などとても無理です。
だから、ほとんどの人は、僕も含めて、障害年金をもらっておとなしくしていた方がいい、という、
ちょっと消極的に思える生き方を選んでしまいます。
よく障害のある方の、絵画などのアート作品が、注目されることがあります。
草間彌生さん、古くは山下清、そこまで有名でなくても、精神的もしくは知的に障害のあるアーティストは、結構います。
そういう人達は、たまたまそういう才能に恵まれていた、というより、
他に生きる道がないので死に物狂いで打ち込んだ、その結果だと思います。
まあ、僕の場合、小説を書くこと以外に、道がないわけではありませんが、
普通の人と同じことをやっていたのでは、生きていくことができないと思います。
中国語を勉強しているのも、何か自分だけの武器が欲しい、と思うからです。
幸い、理解のある主治医の先生や、ブロ友さんにも恵まれているし、
将来のことはわかりませんが、僕は僕の道を歩んでいきたい、と思います。