国会では「桜を見る会」「夫婦別姓」問題の事で左翼議員連中が騒いでいるけど、ほんとに税金ドロボー!
それと、夫婦別姓に関しスマホを見ていたら、ある人の意見が気になったので一言。
概要から先に書きます・・
「選択制夫婦別姓」について「姓が変わる事で家族の絆が失われるっていうのは、アホ!って言ってやりたい」
と言う人がいました。・・その人は、橋下徹です。
最初に書きますが、橋下さんちは子だくさんらしいので、スマホのコメント欄にも書いてありましたが、橋下さんの家で夫婦別姓を実践してください。
橋下さんの家は家族の絆が強いらしく、そういう強気な事が言えるのでしょうけど、一度経験してください。
夫婦別姓が現実化したらどうなるのか?・・
それに基づき結果を報告してください。
橋下家で実践しなければ説得力が「全然!」ないですよ。
これから書く事は一般論になります・・
前日のブログには書いたんですけど、人間も動物で仲間意識が強いですね。
一つ同じ屋根の下に住む人が夫婦の苗字が別で、子供たちの苗字も別々だったらどうなるのでしょうね?
仲間意識と言うのは、総合的に合算されて起きる度合いが多いです。
例えば職場の場合ですと、同じ職場でも職種によって仲間意識の度合いは、強弱があると思います。
同じ家族でも其々個性があり、親・兄弟でも性格が違います。
この場合(現状)、苗字が同一で名前だけが別です。
そういうもんだと生まれながらに育てられ、それが当たり前だと潜在意識に認識されています。
絆的に考えれば連帯感は別姓より深いと思います。
別姓だと、潜在的に「別」という意識があり、いざ(いざと言う時は、人間は家族でも他人でも良い時ばかりではありません)と言う時、その境遇(別姓)を使う危険性はあります。
例えば、人間が争いの中にお前と俺はとか、お兄ちゃんと僕はとか、お姉ちゃんと私はと言うように、簡単に逃げ場として使われる公算が多くなります。
他人を考えれば、言い争いが起こった時に家族同士で言い争いが起こった時などはある程度の歯止めが効きますが、全く関係ない同士だと悲惨な事になる確率は多いのです。
同じ家族でも、別姓同士だと家族でありながらお互いが憎みあい争うようになれば、心情としては他人同士の方に近くなります。(頭に血が上れば見境が付かなくなる確率が多くなると言う所ですかね?)
人間は感情の動物で、「夫婦別姓」の所で「別」と言う言葉は、心理的に大きく作用します。
先日事故で多くの方々が亡くなる交通事故があり、当事者が元官僚という事で人々には処遇に対して「別」意識があり、対応が違うと一般の方々は怒っていましたね。
人間は、表面上は平気な顔をしていても、「別」扱いされると心情的に気分を悪くする人が多いのです。
家族の中でも、お兄ちゃんと僕はとか、お姉ちゃんと自分は、と言うように子供間でも通常起きる問題が、別姓になればそれに輪をかけて、何でお母さん(お母さん方の苗字になっ子供に対して)の方にばかりと肩もつのかとか、お父さんの方にばかり肩もつのか、の言い方は多くなります。・・この問題は影響しないと言う人は人間の心理を理解できな人でしょう。(橋下徹のように)
現在は、橋下家が円満でも橋下家が夫婦別姓になり、子供の苗字が其々違うようになれば、この問題は怒るでしょう。
以上簡単に書きましたが、人間は感情の動物です。
人間の心情を考えず「夫婦別姓」を唱える人は、自己中か・心情を理解できない人です。
それか・・日本人間の絆を壊し日本を貶(おとし)める連中と言っていいでしょう。
現実、芸能人の不倫が話題になっていますが、子供が3人も授かりながら奥さんを裏切り不倫をした男がいましたが、人間なんてもんは心情的に強い人ばかりはいません。
国の体系を考えれば「規則」があればこそ、国が成り立っているのです。
個人を考えれば夫婦ではあるけれど「同じ苗字」という縛りがあるからこそ、一体感が潜在的にも顕在的にもあるのです。
わかりますかね?
「夫婦別姓」を軽く考えている人たちに、奥の深い所が・・
何を言わんとする所が・・
まとめとして
人間は感情の動物であり、感情を正常に乗せる為には、先に起こるであろう問題を予備的に回避する事も当然!必要です。
橋下さんみたいに、経験もしてない事で「夫婦別姓」反対論者は、アホ呼ばわるするレベルこそ「アホ」です!
言いたいことはいっぱいあるのですが、文章となると時間がかかります。
簡単に書きましたが、言わんとすることは少し伝わったかと思います。
人間の絆と言うのは弱い面もあります。
連帯感・一体感・等を維持するためには、意識が必要で意識が崩れれば、家族でも会社でも国でも崩壊します。
その為には物理的に、正しい一体感をフォローするような手順は必要です。
日本古来の夫婦同姓と言うのは、それなりの「理」があるのです。