人間、年を取れば若い人より精神的に、大人になる事が普通だと思います。
しかし近年、年を取った人が世間を賑やかす事が多くなってきています。
年数を経れば、それだけその時に遭遇した事が経験になり、幅が広がるのではと思う。これは、決して人間だけの現象ではないと感じます。
生物に良く聞かれる事ですが、適応能力と言う事を聞きます。簡単な例として、砂漠などに生息する植物などは、水分を補給する為の適応能力が優れていると聞きます。動物なども気象状況に適応して、今日まで生き延びてきています。
人間も勿論、過去から現在までの歴史を見ますと、相当の試練を乗り越え今日まで来ました。物理的には過去から比べると、相当進化してきた事が伺える事と思います。
しかし、人間の感情の変化は、其々個人差があり良い方に向かう人が少ないように感じています。
「自然の摂理」の世界では普通なのですが、良い事も悪いこともその人がやってきた分だけ、その人に戻ってくると言われています。続に言う因果応報と言う言葉です。
この事は、精神文化が高い人ほど、心に刻まれていると言われています。これを読んでいてくれる方々はどうでしょうか?
死刑廃止を訴える人々がいますが、死刑制度は残酷だと言う言い分です。この人たちの言い分からすると、人を殺す事は残酷ではなく、殺した人を同じような罰で裁く事は残酷だと言っていますが、正気ですかと?と聞きたい。
本人たちは正気だと答えると思いますが、中には人を弁護する職業の人たちもいます。この人たちは、人の気持ちが分かるのかな?と感じます。人を弁護する職業には向かない人だと自覚できないのでしょう。
「自然の摂理」厳しいです。しかし、人間には反省する心が備わっています。良い事も悪いことも寸分の狂いもなく自分が背負うんであれば、悪い事を出来るだけ避け、自分にできる程度の事から、良い事を始める努力をすればいいのです。
普段、こういう事は考えないと思いますが、良い事も悪い事も自分に返ってくるのですから、悪い事が起きたら一つ自分の悪い事が減ったと思えばいいのです。仮に他に悪い事をしていなければ悪い借金はなくなります。良い事をしていたとするならば、良い事の貯金だけが自分に残りますね。その貯金も自分が受けられるのですから、良い事が自分に起こるわけです。
簡単に言えば、上記に書いた事が一般に言われてる事です。信じるか信じないかは個人、個人に任せますが、仕組みが分かれば人間生活は暮らしやすいと思いますよ。しかし、人間生活は複雑ですが、数式で言う基礎が分かれば、後は応用です。これが、知恵に当たります。
最近は、中国、韓国の日本に対する嫌がらせが、過激になってきていますが、 知恵を使えばどうってことはないですけどね。
村山元総理は韓国に出向き、どこの国の人間だか分からない発言や行動をしています。先日も、「河野談話」の検証に対してトンチンカンな発言をしています。これ位の年になれば、自分の発言がおかしいときずくはずなんですが、これがきずかないんですね。若い時から、思想をコントロールされると呪縛から抜けるのは困難なのですかね。
政界を引退してまでトンチンカンな事を発言する所業は、日本の足を引っ張ってきたと公表してるようなものです。精神進化の進化の度合いが遅いのですね。
悪いところがあれば、正す。反省する。これが必要です。心の中でいいのです。少しでも進化をしようと努力する事です。そうすれば、言葉、行動に良い結果が現れます。年取ってもトンチンカンな行動、発言は自分の魂には損です。
村山元総理には響かないと思いますが、決して良いおじいちゃんだと常識人は感じないでしょうね。