アメリカは今日“マーチンルーサーキング牧師の誕生日”であった。
ここヒューストンは快晴。とても過ごし易い一日だった。
キング牧師といえば言わずと知れたアメリカ黒人公民権運動の指導者だ。
彼の残した“I have a dream..”という演説はあまりにも有名である。なにを隠そう僕も中学の英語の時間に彼の演説をサイドリーダーとして勉強したものの一人だ。
(ただ、当時の僕には演説の内容は抽象的すぎてよくわからなかったのだが、、、)
マハトマ・ガンジーの影響を色濃く受けた彼は非暴力主義を唱え、アラバマのバス・ボイコット運動などはじめとする多くの黒人人権運動を指揮し、1964年にはノーベル平和賞を受賞する。
そして、敬愛したガンジー同様、彼は1968年の4月4日に暗殺される。
(僕がはるか海の向こうの日本で生を受けたのはそれから僅か10日後のことだ、、、。)
ちなみに、キング牧師の誕生日が国民の祝日になったのは1989年のことである。時の大統領はレーガンであった。当時、この祝日の制定に反対した多くの白人達がアメリカ全土でデモを行ったという。
あのマイケルムーアがボーリング・フォー・コロンバインを撮った後にイギリスで行った記者会見場での記者とのやり取りが印象的だ。
「なぜアメリカ白人を目の敵にするような言動を行うのか?」
「子供の頃、両親に連れられて教会に行った帰り道、一緒に教会から出てきた信者の一人がラジオのニュースを耳にして『キング牧師が撃たれたぞ!』って叫んだんだ。その時まわりにいた大人達が一斉に喚起の声をあげたのを聞いたとき、僕はアメリカは何かがおかしいと感じたんだ」
「コリン・パウエルやコンドリーザ・ライスは黒人達の間ではヒーローなんでしょう?」
一年前、僕はある友人に尋ねた。
彼はこう応えた。
「とんでもない、彼らは裏切り者だよ。彼らは、白人の歴史を学び、白人と同様の生活をし、白人の価値を身につけた。単なる裏切り者さ」と。
13歳の時、僕は南部の州アラバマで1ヶ月ホームステイをした。
ステイ先の屋敷には大きな書庫があった。
僕は、時々そこへもぐりこんで古めかしい本をあれこれ引っ張り出しては眺めるのが好きだった。
ある日僕は本棚の一番高いところに“American History”という埃まみれの本を見つけた。
その本の中には、アメリカ南部の歴史が多くの写真とともに綴られていた。
本はKKKと黒人差別の歴史にかなりのページを割いていた。
見開き2ページにわたる大きな写真には、巨大な木に吊るされたおびただしい数の黒人の死体のもとで白い歯をむいてポーズをとったり、死体を指差して雄たけびを上げる白人達の様子が収められていた。背筋が凍るような思いで、その写真に見入っていると家主の母親が近寄ってきて僕からそっとその本を取り上げて、悲しそうな顔でこういった。
「これは、アメリカの悲しい歴史なんだよ、、、」
ビリーホリデイの“Strange Fruits”というアルバムは僕の心の一枚である。あの木に吊るされた黒人達を彼女は“奇妙な果実”のようであると物憂げに歌う。彼女の声を聴くたびに、あのときの母親の悲しい表情を思い出す。
暴力を容認し過激な運動に走ったマルコムXが65年に暗殺され、非暴力を説いたキング牧師がその僅か3年後に凶弾に倒れた。キング牧師の死から今年で37年が経つ。
果たして彼の夢は叶ったのだろうか。
ここヒューストンは快晴。とても過ごし易い一日だった。
キング牧師といえば言わずと知れたアメリカ黒人公民権運動の指導者だ。
彼の残した“I have a dream..”という演説はあまりにも有名である。なにを隠そう僕も中学の英語の時間に彼の演説をサイドリーダーとして勉強したものの一人だ。
(ただ、当時の僕には演説の内容は抽象的すぎてよくわからなかったのだが、、、)
マハトマ・ガンジーの影響を色濃く受けた彼は非暴力主義を唱え、アラバマのバス・ボイコット運動などはじめとする多くの黒人人権運動を指揮し、1964年にはノーベル平和賞を受賞する。
そして、敬愛したガンジー同様、彼は1968年の4月4日に暗殺される。
(僕がはるか海の向こうの日本で生を受けたのはそれから僅か10日後のことだ、、、。)
ちなみに、キング牧師の誕生日が国民の祝日になったのは1989年のことである。時の大統領はレーガンであった。当時、この祝日の制定に反対した多くの白人達がアメリカ全土でデモを行ったという。
あのマイケルムーアがボーリング・フォー・コロンバインを撮った後にイギリスで行った記者会見場での記者とのやり取りが印象的だ。
「なぜアメリカ白人を目の敵にするような言動を行うのか?」
「子供の頃、両親に連れられて教会に行った帰り道、一緒に教会から出てきた信者の一人がラジオのニュースを耳にして『キング牧師が撃たれたぞ!』って叫んだんだ。その時まわりにいた大人達が一斉に喚起の声をあげたのを聞いたとき、僕はアメリカは何かがおかしいと感じたんだ」
「コリン・パウエルやコンドリーザ・ライスは黒人達の間ではヒーローなんでしょう?」
一年前、僕はある友人に尋ねた。
彼はこう応えた。
「とんでもない、彼らは裏切り者だよ。彼らは、白人の歴史を学び、白人と同様の生活をし、白人の価値を身につけた。単なる裏切り者さ」と。
13歳の時、僕は南部の州アラバマで1ヶ月ホームステイをした。
ステイ先の屋敷には大きな書庫があった。
僕は、時々そこへもぐりこんで古めかしい本をあれこれ引っ張り出しては眺めるのが好きだった。
ある日僕は本棚の一番高いところに“American History”という埃まみれの本を見つけた。
その本の中には、アメリカ南部の歴史が多くの写真とともに綴られていた。
本はKKKと黒人差別の歴史にかなりのページを割いていた。
見開き2ページにわたる大きな写真には、巨大な木に吊るされたおびただしい数の黒人の死体のもとで白い歯をむいてポーズをとったり、死体を指差して雄たけびを上げる白人達の様子が収められていた。背筋が凍るような思いで、その写真に見入っていると家主の母親が近寄ってきて僕からそっとその本を取り上げて、悲しそうな顔でこういった。
「これは、アメリカの悲しい歴史なんだよ、、、」
ビリーホリデイの“Strange Fruits”というアルバムは僕の心の一枚である。あの木に吊るされた黒人達を彼女は“奇妙な果実”のようであると物憂げに歌う。彼女の声を聴くたびに、あのときの母親の悲しい表情を思い出す。
暴力を容認し過激な運動に走ったマルコムXが65年に暗殺され、非暴力を説いたキング牧師がその僅か3年後に凶弾に倒れた。キング牧師の死から今年で37年が経つ。
果たして彼の夢は叶ったのだろうか。
10年前にアメリカに滞在したとき、いくつかの街でキング牧師にちなんだ通りの名前を見て、キング牧師の偉大さを認識しました。ただ、オレゴン州ポートランドのマーチン・ルーサー・キング大通りは相当治安が悪かったですが。
最近ではマイノリティー出身者でも高い地位につく人が多くなったと思います。しかし同じマイノリティーからは「裏切り者」呼ばわりされるのですか、分からないでもないですが。
人種差別もアンダーグラウンドの部分では厳然と存在するのではないかと思っています。2002年か2003年のアカデミー賞の主演男優賞にデンゼル・ワシントンが、主演女優賞にハル・ベリーが受賞したとき、「今年は黒人の年だ」という概念が働いたのでは、と疑念が少し湧きました。
リベラルなイメージのあるハリウッドでもしそのようなことが行われていたら残念なことでもあります。
>>しかし同じマイノリティーからは「裏切り者」呼ばわりされるのですか
この反応には僕も驚きました。もちろんすべての黒人がこのような考え方を持っているわけではないでしょうが、、白人に迎合しない生き方がカッコいいとされる空気は実際にあるようです。
ちなみに、ハルベリーとデンゼルワシントンの受賞したアカデミー賞に関しては、僕は粋なことするなーなどとむしろ好意的に見ていたのですが、しかし、穿った見方をすればおっしゃるように逆差別ともいえなくもないかもしれませんね。
まあ、考えてみればわれわれ日本の国内にですら差別が厳然として存在しているわけですから、いわんやアメリカをや、という気もしてしまうのですが、、、。
彼は、大きなことをしてやろうと思っていたわけでもなく、そうさせられた人の一人なんじゃないでしょうか・・・・。
もう亡くなった、フェアフィールドフォーの
バリトンを歌っていたおじいちゃんは、
ナッシュビルで黒人初の警察官になった人です。
白人から差別され、そして黒人からも差別を受けた人です。でも、最後は彼の「愛」で両方を「友」として勝ち取った人のひとりです。
「敵に勝ちたいんじゃない、友として勝ち取りたいんだ・・・」そんな姿勢に私も背筋を正されます。
コメントありがとうございます。
キング牧師もそうですが、ガンジーやジョンレノンやイスラエルのラビン首相など平和な世界をを目指した人物が多く暴力の犠牲となって命を落としているというのは何とも皮肉な話だと思いませんか?
「愛」を語るにもきっととてつもない勇気がいるのでしょうね。
相手が自分を憎んだとしても、それでも愛することを諦めないことが「愛すること」なのかもしれませんね・・・。
映画「パッション」を思い出しました・・・。