黒沢清、高橋洋、塩田明彦、万田邦敏、たむらまさき、青山真治、臼井勝、筒井武文らによる「映画の授業」という本を読む。
これは名著である。
映画を見る者はすべからくこの本を熟読すべきである。
とくに、本書の“演出”の章は必読である。
ぶっちゃけ、他の章は読まずに捨ててもよい。この章だけでも読むべき価値はある。
映画は言語である。
映画という言語を習得することは、たとえば英語を勉強することと似ている。
英語を真剣に学んだことのある人ならわかると思うが、苦しみながら英語を学んでいると、ある日、何かが舞い降りたかのように突然“英語が聴きとれる”瞬間が訪れる。
それまで、小鳥の囀りにしか聞こえなかった英語が突然、言葉として身体に浸み込んでくる。
それと同様に、映画を、来る日も来る日も、何本も何本も見続けていると、ある日突然、堰を切ったように映画が言語となって押し寄せる瞬間が訪れる。
映画はストーリーではない。
画面そのものである。
画面に映っているモノ、人、運動こそが、映画の生命である。
とこの本は教えてくれる。
「人はろくに画面を見ておらず、音も聞いていない」と筆者は指摘する。
にも関わらず人は平然と「私は映画を見た」と云う。
たとえば、ドン・シーゲルの傑作「ダーティ・ハリー」を学生に見せた後、万田邦敏が学生たちに質問する。
「そこで次の方、この映画の最初のカットは何だったでしょう」
「屋上のプールで泳いでいる女の子をスコーピオンが殺す」
「はい、次の方どうですか」
「スコーピオンが照準器で女の子をのぞいていて・・・」
「はい。次の方・・・」
実は、ダーティ・ハリーの最初のカットはサンフランシスコ殉職警官記念碑である。
その碑に警察バッジをかたどった紋様があり、この警察バッジの紋様が何かを暗示するようにまず提示されるのだが、今しがた映画を見終わったばかりの学生は、すでにこのシーンの存在を覚えていないのだ。
このようなエピソードを通して、本書は、そもそも“映画を見る”とはどういうことなのか、とか“演出”とは何なのか、という根源的な問題についてのきわめて重要な示唆を提供してくれる。
ぜひご一読をお勧めしたい。
これは名著である。
映画を見る者はすべからくこの本を熟読すべきである。
とくに、本書の“演出”の章は必読である。
ぶっちゃけ、他の章は読まずに捨ててもよい。この章だけでも読むべき価値はある。
映画は言語である。
映画という言語を習得することは、たとえば英語を勉強することと似ている。
英語を真剣に学んだことのある人ならわかると思うが、苦しみながら英語を学んでいると、ある日、何かが舞い降りたかのように突然“英語が聴きとれる”瞬間が訪れる。
それまで、小鳥の囀りにしか聞こえなかった英語が突然、言葉として身体に浸み込んでくる。
それと同様に、映画を、来る日も来る日も、何本も何本も見続けていると、ある日突然、堰を切ったように映画が言語となって押し寄せる瞬間が訪れる。
映画はストーリーではない。
画面そのものである。
画面に映っているモノ、人、運動こそが、映画の生命である。
とこの本は教えてくれる。
「人はろくに画面を見ておらず、音も聞いていない」と筆者は指摘する。
にも関わらず人は平然と「私は映画を見た」と云う。
たとえば、ドン・シーゲルの傑作「ダーティ・ハリー」を学生に見せた後、万田邦敏が学生たちに質問する。
「そこで次の方、この映画の最初のカットは何だったでしょう」
「屋上のプールで泳いでいる女の子をスコーピオンが殺す」
「はい、次の方どうですか」
「スコーピオンが照準器で女の子をのぞいていて・・・」
「はい。次の方・・・」
実は、ダーティ・ハリーの最初のカットはサンフランシスコ殉職警官記念碑である。
その碑に警察バッジをかたどった紋様があり、この警察バッジの紋様が何かを暗示するようにまず提示されるのだが、今しがた映画を見終わったばかりの学生は、すでにこのシーンの存在を覚えていないのだ。
このようなエピソードを通して、本書は、そもそも“映画を見る”とはどういうことなのか、とか“演出”とは何なのか、という根源的な問題についてのきわめて重要な示唆を提供してくれる。
ぜひご一読をお勧めしたい。
「映画はストーリーではない、画面そのものである」
ですか。
侯ファンとしては心強いお言葉です(笑)。
あ、「脳内ニューヨーク」みましたよ。
かなり好きです。
途中、現実なのかそれとも脳内なのかわかんないところもありましたが、それもねらいなんでしょうね(単に読解力が悪いだけか)。
さて、この「映画の授業」という本の著者の多くが蓮實重彦の寵愛を受けた人たちでして、とくに万田の「ダーティ・ハリー」の分析なんかは、そのまんま蓮實が立教でやっていた映画表現論の授業そのものという感じらしいです。
すなわち、徹底的に画面に映っていたもののみについてしか語らないという方法です。
確かに、往々にして人は、映画を題材にしつつ、結局のところ人類愛を語ったり、グローバリズムを語ったり、戦争を語ったりするものですが、そのような方法を否とする態度、すなわち画面に映っていることのみについて分析を加えるという方法が、正統的映画の見方なのだというのが本書の主張です。
>>「脳内ニューヨーク」みましたよ。
いかがでしたか?
たぶん、予告編の出来は最高だったと思いますが、本編はどうだったでしょうか。
たぶん、複数回見直さないと真の評価は難しそうですね。
でもなんでしょう。
あの雰囲気。忘れられないな~
スターウォーズ エピソード4をいろんな人が15秒間のカットだけ撮影して、つなげた映画。。
アホ映画だけど、ちょっとうらやましいのでは??
http://www.starwarsuncut.com/watch
音声聞いているだけで懐かしくなるねー。
やっぱスタ-・ウォーズだねー。
『街場のメディア論』 内田樹
いい本でした。
自分の考えと一致するところがkey pointとなっていました。
我ながら自分のモノの見方も捨てたものではないなぁ~、と地下鉄の中でニヤリ。
向かいの女性と目が合いヒヤリ。
また、是非あそびにきてください。
『街場のメディア論』
まだ未読です。おもしろそうですね。
たのしみだなー。
いま、一生懸命マイケル・サンデルを読んでいるところです。それが終わったら読んでみます。