こちらはすっかり秋の気配につつまれ始めています。
今朝はすこし肌寒かったこともあって通勤時に半そでシャツを着ていたのは僕と、地下鉄の中で出会ったでっかい黒人のお兄さんぐらいでした。なんだか知らないうちに秋になってしまいましたね。そして心なしか空も高くなったように感じます。
日本はいかがでしょうか?
僕は最近、変わり映えのしない単調な生活を送っているせいか、書くネタにも困っています。もっと正確に言うと、ネタはあるんだけど書くパワーがないといったほうがいいかもしれません。
ここのところ小林よしのりの“戦争論”論を書こうかな-などと思いながらずっと書けないでいます。気が重いというかなんというか、、、よっぽど気合が乗ってるときじゃないとアレの批評(っていうか感想文だけど)は書けそうにもありません。ちょっとテーマが重すぎて。。。
などと言っている端から、先日こちらに長く住む日本人の御婦人(今はもうアメリカ人になられていますが、、、)からある話を聞いたので、今日はその話をすることにします。
先日、その御婦人がアメリカに留学中のある若い日本人大学生と食事をする機会があった折、その若い学生が「太平洋戦争はアメリカが仕組んだ罠だった。我々日本人はアメリカに嵌められたのだ」と皆の前で得意満面に大演説を打ったのだそうです。彼は御丁寧に南京大虐殺が中国共産党のプロパガンダであり、現在の日本の歴史教科書は反日分子どもの手によって貶められているのだとも語り、周囲を唖然とさせたのだそうです。
この大学生が小林よしのりファンであったかどうかは知りませんが、彼のように、アメリカに来て“ナショナリズム”に目覚めたという人の話は枚挙に暇がありません。(もっとも、この大学生の思考自体はアメリカに来る以前からのものである可能性も大いにありますが、、、)
かの江藤淳もアメリカ留学中にナショナリズムに開眼した一人であると言われます。
だからといって、僕はこの大学生を頭ごなしに批判するつもりはありません。もちろん、周りの空気も読めないようなこのデリカシーのなさは一般的社会人としての品性を欠いているという批判は十分彼にあてはまるものだとは思いますが、、、。
しかし、おそらくこの大学生も、もう少し勉強して大人になれば、社会人としての最低限のたしなみである所の、テーブルエチケットのみならず、現在の日本における歴史教科書論争自体が、互いの歴史観を押し付け合うだけの極めて空虚で低俗なものであるという事実に気が付く日が来るのではないかと思うのです。
もちろん言うまでもないことですが、現代社会には様々な立場(これらのうち、あるもののみを正統であると主張する立場がいわゆる“自虐史観”や“皇国史観”、はたまた“おやじ慰撫史観”だったりするわけですが、、、)が存在します。
かの大学生が多くの日本人を前に講釈をたれた太平洋戦争勃発の背景に関しても当然様々な視点と解釈があり得るのです。
しかし、現代における知識人とは、これらを見極めるリテラシ-能力を身につけた存在でなくてはなりません。決してある1つの物語のみを一途に信じ込むようなナイーヴな存在であってはならないと思います。
ですからもし、件の大学生がこのような様々な視点を学ぶことなく日本に帰るようなことになったとすれば、それは世界的視野をもった国際的知識人たるチャンスを彼が見す見す逃したということに他ならないのではないでしょうか。
季節が夏から秋へ切り替わってゆくにつれ、頭の中身もヘビーな時事ネタから、よりライトな洒落た話題へと切り替わってゆくハズが、またしてもこんな話題になってしまいました。
今朝はすこし肌寒かったこともあって通勤時に半そでシャツを着ていたのは僕と、地下鉄の中で出会ったでっかい黒人のお兄さんぐらいでした。なんだか知らないうちに秋になってしまいましたね。そして心なしか空も高くなったように感じます。
日本はいかがでしょうか?
僕は最近、変わり映えのしない単調な生活を送っているせいか、書くネタにも困っています。もっと正確に言うと、ネタはあるんだけど書くパワーがないといったほうがいいかもしれません。
ここのところ小林よしのりの“戦争論”論を書こうかな-などと思いながらずっと書けないでいます。気が重いというかなんというか、、、よっぽど気合が乗ってるときじゃないとアレの批評(っていうか感想文だけど)は書けそうにもありません。ちょっとテーマが重すぎて。。。
などと言っている端から、先日こちらに長く住む日本人の御婦人(今はもうアメリカ人になられていますが、、、)からある話を聞いたので、今日はその話をすることにします。
先日、その御婦人がアメリカに留学中のある若い日本人大学生と食事をする機会があった折、その若い学生が「太平洋戦争はアメリカが仕組んだ罠だった。我々日本人はアメリカに嵌められたのだ」と皆の前で得意満面に大演説を打ったのだそうです。彼は御丁寧に南京大虐殺が中国共産党のプロパガンダであり、現在の日本の歴史教科書は反日分子どもの手によって貶められているのだとも語り、周囲を唖然とさせたのだそうです。
この大学生が小林よしのりファンであったかどうかは知りませんが、彼のように、アメリカに来て“ナショナリズム”に目覚めたという人の話は枚挙に暇がありません。(もっとも、この大学生の思考自体はアメリカに来る以前からのものである可能性も大いにありますが、、、)
かの江藤淳もアメリカ留学中にナショナリズムに開眼した一人であると言われます。
だからといって、僕はこの大学生を頭ごなしに批判するつもりはありません。もちろん、周りの空気も読めないようなこのデリカシーのなさは一般的社会人としての品性を欠いているという批判は十分彼にあてはまるものだとは思いますが、、、。
しかし、おそらくこの大学生も、もう少し勉強して大人になれば、社会人としての最低限のたしなみである所の、テーブルエチケットのみならず、現在の日本における歴史教科書論争自体が、互いの歴史観を押し付け合うだけの極めて空虚で低俗なものであるという事実に気が付く日が来るのではないかと思うのです。
もちろん言うまでもないことですが、現代社会には様々な立場(これらのうち、あるもののみを正統であると主張する立場がいわゆる“自虐史観”や“皇国史観”、はたまた“おやじ慰撫史観”だったりするわけですが、、、)が存在します。
かの大学生が多くの日本人を前に講釈をたれた太平洋戦争勃発の背景に関しても当然様々な視点と解釈があり得るのです。
しかし、現代における知識人とは、これらを見極めるリテラシ-能力を身につけた存在でなくてはなりません。決してある1つの物語のみを一途に信じ込むようなナイーヴな存在であってはならないと思います。
ですからもし、件の大学生がこのような様々な視点を学ぶことなく日本に帰るようなことになったとすれば、それは世界的視野をもった国際的知識人たるチャンスを彼が見す見す逃したということに他ならないのではないでしょうか。
季節が夏から秋へ切り替わってゆくにつれ、頭の中身もヘビーな時事ネタから、よりライトな洒落た話題へと切り替わってゆくハズが、またしてもこんな話題になってしまいました。
ご紹介のような若者が本当にいるのですね。ネット掲示板などではよく見かける人種ですが、本当に海外で演説をぶってしまうとは・・・(苦笑)。
>現代における知識人とは、これらを見極めるリテラシ-能力を身につけた存在でなくてはなりません。
全く同感です。ネットの掲示板などを見るに連れ心なしか日本人の知的成熟度が年々落ちていくような気がします。そこがまさにナイーブさとデリカシーのなさにつながるものかもしれません。と言いつつ、かくいう私も視野狭窄に陥らないよう自戒しなければなりませんが・・・。
今の日本の状況を“満州事変の頃の雰囲気とそっくりだ”と言ったひとがいるとか。
個人的には、ちょうどヒトラー率いるナチスが1930年代にドイツ国内で台頭してきた頃の若者の熱狂ぶりと件の大学生の偏狭ぶりは通底するものがあるように思えます(オーバーな話ではなくマジで、、)。
当時のドイツは経済的にどん底でしたが、やはり経済が悪くなるのとナショナリズムの台頭の間には何か因果関係があるのでしょうか。
エーと、その学生の論旨を整理してみましょネ。
まず、
>「太平洋戦争はアメリカが仕組んだ罠だった。..
ここは、左翼的。
>南京大虐殺は...
これは、右翼。
>現在の日本の歴史教科書は反日分子どもの手によって貶められているのだとも..
ここは、極右かな。
ということで、万年落選の泡沫政治家みたい。うちの田舎でも居ますヨ。
いつもコメントありがとうございます。
この大学生のアメリカ生活が実り多いものであることを祈ります。
ところで、ご指摘のように、かつての左翼的な反米的物言いが、いまや堂々とナショナリズムと結びついて、新右翼とか民族派をはじめとする人々(あと、石原慎太郎や小林よしのりもそうですが)の間に浸透していますよね。
こういう現象はいつ頃からおきてくるもんなんでしょうか。やはり東西冷戦構造の崩壊と関係しているんでしょうか。もしご存知であれば教えてください。
>こういう現象はいつ頃からおきてくるもんなんでしょうか。
ALBERT HAWARDという人が、対戦直後、戦争の根源について考察します。
かなり意外な分野からの、発言ですが地に足の着いた主張です。世界中の第一次産業の従事者に読まれ、欧米では業界のコモンセンスです。
日本でもつい最近、やっとこさ広がりを見せてます。こちらの最大手の車屋さんがこの線で、やんわり番組作ってます。
彼の1950年ころの著作がそれです。
文学の側からも、似たような指摘あります。
>こういう現象はいつ頃からおきてくるもんなんでしょうか。
ALBERT HAWARDという人が、対戦直後、戦争の根源について考察します。
かなり意外な分野からの、発言ですが地に足の着いた主張です。世界中の第一次産業の従事者に読まれ、欧米では業界のコモンセンスです。
日本でもつい最近、やっとこさ広がりを見せてます。こちらの最大手の車屋さんがこの線で、やんわり番組作ってます。
彼の1950年ころの著作がそれです。
文学の側からも、似たような指摘あります。
>こういう現象はいつ頃からおきてくるもんなんでしょうか。
ALBERT HAWARDという人が、対戦直後、戦争の根源について考察します。
かなり意外な分野からの、発言ですが地に足の着いた主張です。世界中の第一次産業の従事者に読まれ、欧米では業界のコモンセンスです。
日本でもつい最近、やっとこさ広がりを見せてます。こちらの最大手の車屋さんがこの線で、やんわり番組作ってます。
彼の1950年ころの著作がそれです。
文学の側からも、似たような指摘あります。
>こういう現象はいつ頃からおきてくるもんなんでしょうか。
ALBERT HAWARDという人が、対戦直後、戦争の根源について考察します。
かなり意外な分野からの、発言ですが地に足の着いた主張です。世界中の第一次産業の従事者に読まれ、欧米では業界のコモンセンスです。
日本でもつい最近、やっとこさ広がりを見せてます。こちらの最大手の車屋さんがこの線で、やんわり番組作ってます。
彼の1950年ころの著作がそれです。
文学の側からも、似たような指摘あります。
>こういう現象はいつ頃からおきてくるもんなんでしょうか。
ALBERT HAWARDという人が、対戦直後、戦争の根源について考察します。
かなり意外な分野からの、発言ですが地に足の着いた主張です。世界中の第一次産業の従事者に読まれ、欧米では業界のコモンセンスです。
日本でもつい最近、やっとこさ広がりを見せてます。こちらの最大手の車屋さんがこの線で、やんわり番組作ってます。
彼の1950年ころの著作がそれです。
文学の側からも、似たような指摘あります。
多重投稿、削除ください。すみません。