7月からフェローが一新され、僕達の部屋にも新顔が何人かやってきました。
みな、とてもいい人たちばかりです。
しかし6月までの顔なじみばかりの生活から一転して新フェローを相手に人間関係を再びゼロから構築してゆかねばならないというのは結構大変だったりします。
こういうとき典型的日本人気質の僕からすると、社交的でアウトゴーイングな性格の人達がとってもうらやましく思えてしまいます。
アメリカでは研修医たちは自分のキャリアアップのために国内の病院をあちこち渡り歩くのが普通です。例えば、今回新しくやってきたアメリカ人フェローの場合、ヒューストンへ来る前はイェール大学で血液腫瘍科のフェローをやり、その前はシカゴの病院で内科レジデントをやっていたそうです。もう一人のギリシャ人フェローはボストン大学でやはり腫瘍科のフェローをやっていたそうです。このようにアメリカの研修医は一人前になるまでひたすらアメリカ全土を武者修行して歩かなくてはなりません。
まして、これが夫婦の場合はかなり悲惨です。
同室のトルコ人フェローは、旦那がシカゴ大学に職を見つけて移動したためここ半年以上別居を強いられていますし、ダラスの病院にこの度めでたく就職が決まったインド人の元フェローのフィアンセは現在NYの病院で働いているのですが、二人一緒に住めるように目下ダラスでの職探しに奔走中だそうです。
まあ、良くも悪くもさすがは“流動性の価値”を重んじる国アメリカならでのシステムだと思います。その点、一つの病院に留まってたたき上げで研修することの多い日本の場合とは随分異なっています。
このような日米の医療研修システムの違いとその問題点については、いずれまた書きたいと思います。
ところで、今日のもう一つの話題は、先日新聞のWEBサイトで見つけたこんな記事についてです。
患者の覚せい剤反応、医師の通報「正当」 最高裁初判断
おそらく、日本のかなりの数の医師がこの記事にあるような経験をされたことがあるのではないかと思います。
僕の場合も似たような経験が何度かありました。
研修医時代、ローテーション先の施設で、喧嘩で負傷したとか痴話喧嘩の末にリストカットしたとかいう理由で病院に担ぎ込まれる患者さんのなかに、それほど酒を飲んでいるわけでもないのにどうしたわけか異常な興奮状態にあるような人が何人かいました。そして、このような患者さんに尿検査をすると少なからずアンフェタミン(覚せい剤)が陽性になるのです。
しかも、当時ショックだったのは、そういう患者さんの多くが高校生などの未成年者であったということでした。
おそらく年季の入っている覚せい剤使用者は発覚を恐れてそう簡単には病院には来ないので必然的に経験の浅い若年者が多かったということなのかもしれません。
まあそれはともかく、そんな患者さんを発見した時「この人覚せい剤やってますよ!通報しましょうよ!」といきり立つ僕を「そんなことしたらおまえの方こそ守秘義務違反に問われる可能性があるんだぞ」と説得にあたるのは専ら上級医師の役目でした。
その当時、この上級医師の言い分には随分と釈然としないものを感じたものですが、今から考えると確かに法律の内容を熟考せずに一時の感情だけであのような発言をしたのは少々軽率だったかもしれないと思うようになりました。
通報する、しないの最終的な是非は横へ置くとして(是非に関しては今更議論する余地もないかもしれませんが)、そのとき自分のとろうとしていた行動が患者情報の漏洩にあたる可能性があるかもしれないという意識が当時の自分には欠けていたように思います。
WEBの記事では言及されていませんでしたが、今回の裁判で守秘義務違反に問われた医師も、実は血気盛んな若手の研修医だったかもしれません。十分にトレーニングされた上級医師であれば通報にはかなり慎重であった可能性があります。
今回、最高裁は「必要な治療や検査で違法な薬物を検出した場合、捜査機関への通報は正当な行為で守秘義務に違反しない」との初判断を示しました。今まで守秘義務違反に関する境界がはっきりしていなかったわけですから、それがはっきりしたという点では今回の判決は歓迎すべだと思います。ただし救急患者への尿検査(特に薬物検査)が患者の同意を一切得ずに施行されているなどの現状を鑑みると、仮に患者が犯罪に関与していると考えられた場合であっても、医療者は患者のプライバシーや情報の保護という問題には十分留意する必要があるのではないかという気がします。そして、それと同時に、インフォームドコンセントや検査の進め方などに関するよりきめ細かなマニュアルの一日でも早い整備を望みたいと思います。
みな、とてもいい人たちばかりです。
しかし6月までの顔なじみばかりの生活から一転して新フェローを相手に人間関係を再びゼロから構築してゆかねばならないというのは結構大変だったりします。
こういうとき典型的日本人気質の僕からすると、社交的でアウトゴーイングな性格の人達がとってもうらやましく思えてしまいます。
アメリカでは研修医たちは自分のキャリアアップのために国内の病院をあちこち渡り歩くのが普通です。例えば、今回新しくやってきたアメリカ人フェローの場合、ヒューストンへ来る前はイェール大学で血液腫瘍科のフェローをやり、その前はシカゴの病院で内科レジデントをやっていたそうです。もう一人のギリシャ人フェローはボストン大学でやはり腫瘍科のフェローをやっていたそうです。このようにアメリカの研修医は一人前になるまでひたすらアメリカ全土を武者修行して歩かなくてはなりません。
まして、これが夫婦の場合はかなり悲惨です。
同室のトルコ人フェローは、旦那がシカゴ大学に職を見つけて移動したためここ半年以上別居を強いられていますし、ダラスの病院にこの度めでたく就職が決まったインド人の元フェローのフィアンセは現在NYの病院で働いているのですが、二人一緒に住めるように目下ダラスでの職探しに奔走中だそうです。
まあ、良くも悪くもさすがは“流動性の価値”を重んじる国アメリカならでのシステムだと思います。その点、一つの病院に留まってたたき上げで研修することの多い日本の場合とは随分異なっています。
このような日米の医療研修システムの違いとその問題点については、いずれまた書きたいと思います。
ところで、今日のもう一つの話題は、先日新聞のWEBサイトで見つけたこんな記事についてです。
患者の覚せい剤反応、医師の通報「正当」 最高裁初判断
おそらく、日本のかなりの数の医師がこの記事にあるような経験をされたことがあるのではないかと思います。
僕の場合も似たような経験が何度かありました。
研修医時代、ローテーション先の施設で、喧嘩で負傷したとか痴話喧嘩の末にリストカットしたとかいう理由で病院に担ぎ込まれる患者さんのなかに、それほど酒を飲んでいるわけでもないのにどうしたわけか異常な興奮状態にあるような人が何人かいました。そして、このような患者さんに尿検査をすると少なからずアンフェタミン(覚せい剤)が陽性になるのです。
しかも、当時ショックだったのは、そういう患者さんの多くが高校生などの未成年者であったということでした。
おそらく年季の入っている覚せい剤使用者は発覚を恐れてそう簡単には病院には来ないので必然的に経験の浅い若年者が多かったということなのかもしれません。
まあそれはともかく、そんな患者さんを発見した時「この人覚せい剤やってますよ!通報しましょうよ!」といきり立つ僕を「そんなことしたらおまえの方こそ守秘義務違反に問われる可能性があるんだぞ」と説得にあたるのは専ら上級医師の役目でした。
その当時、この上級医師の言い分には随分と釈然としないものを感じたものですが、今から考えると確かに法律の内容を熟考せずに一時の感情だけであのような発言をしたのは少々軽率だったかもしれないと思うようになりました。
通報する、しないの最終的な是非は横へ置くとして(是非に関しては今更議論する余地もないかもしれませんが)、そのとき自分のとろうとしていた行動が患者情報の漏洩にあたる可能性があるかもしれないという意識が当時の自分には欠けていたように思います。
WEBの記事では言及されていませんでしたが、今回の裁判で守秘義務違反に問われた医師も、実は血気盛んな若手の研修医だったかもしれません。十分にトレーニングされた上級医師であれば通報にはかなり慎重であった可能性があります。
今回、最高裁は「必要な治療や検査で違法な薬物を検出した場合、捜査機関への通報は正当な行為で守秘義務に違反しない」との初判断を示しました。今まで守秘義務違反に関する境界がはっきりしていなかったわけですから、それがはっきりしたという点では今回の判決は歓迎すべだと思います。ただし救急患者への尿検査(特に薬物検査)が患者の同意を一切得ずに施行されているなどの現状を鑑みると、仮に患者が犯罪に関与していると考えられた場合であっても、医療者は患者のプライバシーや情報の保護という問題には十分留意する必要があるのではないかという気がします。そして、それと同時に、インフォームドコンセントや検査の進め方などに関するよりきめ細かなマニュアルの一日でも早い整備を望みたいと思います。
コメントありがとうございます。
個人情報保護法が施行されて以降、お仕事のほうにもかなり影響が出ていると推察いたしますがいかがでしょうか。
私は完全に“浦島太郎”状態ですのでいまいちピンと来ません。
ところで日本では、昔から“本音と建前”というか、本来はダメなんだけど、ケースバイケースで、いい時もある、みたいなすごくファジーな部分が多いですよね。
パチンコ屋の景品交換所みたいなのもそうですが。。(笑)
僕は、こういう日本的なファジーな価値観を否定するつもりはないんですが、そうは言いながらも、やはりどこかできちっと線を引く努力はしなきゃならんのではないかと感じている今日この頃です。
通報する義務が法的に設けられたと
記憶しています・・・
個人情報保護法が施行されてから
医療の現場でもいろいろ混乱がありますね。
悪性腫瘍の終末期、アメリカならば基本的に
本人に告知しないと訴えられる可能性大のようです。
日本でも、個人情報保護法に厳密に則れば、
本人の同意なしに家族に病状についてお話ししては
いけないことになるので、どんなにひどい病状であっても、
原則としてまずは本人に告知しなければいけないことに
なります。
時代の流れとして、最後まで悪性腫瘍であることを
隠し通すケースはほとんどないのでしょうが、
誰でもが精神的に強いわけではないので、
場合によってはまずはご家族と相談して、
段階を追って病状の告知を行った方がよい状況も
あると思うのです。
実際、法律に違反する形で病状告知をしてしまって
いるわけですが・・・
良い方法を試行錯誤しております。
僕も一度か二度経験がありますが、やはりそのときも患者さん本人には知らせなかった記憶があります。
がんの告知の問題にしてもそうですが、医師と患者と家族との間で話がこじれてしまうことは時々あります。告知の問題が引き金になって最終的に裁判沙汰に、、というはなしも耳にします。
アメリカ的価値観(キリスト教的価値観というべきか)と、昔ながらの日本的な価値観との違いがこういうところにも表れているのかもしれません。
以前知り合った、お医者さんの勤務医時代の話を伺ったことがあるのですが、繁華街近くの病院だったので救急患者の血液検査をするとたまにHIV陽性が見つかったそうです。
この場合、治療する側の安全を守るために必要だと伺いましたが、本人の了解を得ずに検査しているので結果は本人に知らせなかったそうです。
お医者様は望むと望まざるに関わらず患者さんの情報を知ってしまうことがあるようですが、社会的な影響が大きな情報の場合、その取り扱いが難しいと思います。難しいお立場とお察し致します。
僕も今後参考にしたいと思います。
ちなみに、問題の判決文は上記のアドレスをクリックしていただいて、7月21日掲載分のところにあります。
なるほど、こういう事情でしたか。。。
原告側の主張をぴしゃりとはねのけています。
興味のある方はどうぞ。
http://courtdomino2.courts.go.jp/home.nsf
お久しぶりです。
コメント有難うございます。
我ながら、突込みどころ満載の記事だったと思います(汗)。
全くもってneocyさんのおっしゃる通り、一般的には通報は当たり前だし、犯罪者を目の前にして守秘義務違反云々なんて議論は論外中の論外です。
ただ医師による情報の秘匿と、警察への通報という相矛盾する2つの立場を、法理的に解釈しようとするとそこらじゅうにつっこみどころが出てきてしまいます。
そしてこの矛盾は一般論ではなかなか片付けにくい部分でもあります。
この裁判が最高裁まで争われた理由もそこにあるような気がします。(この点に関してはもう少し勉強してからまた何か書くかもしれません)
当時の僕はそういった小難しい議論には全く無関心でした。上級医師に諭されてそのときはしぶしぶ納得したわけですが、その後いくつかの経験を経て、これら2つの立場の整合性について考えるようになりました。
患者さんの薬物検査を(多くの場合無断で)行う場合、あるいはいざ警察に通報する場合、そこにはどのような責任と、どのような法的な問題が関わってくる可能性があるのか。医師はこの点に関して十分に自覚しておかなければならないと思うわけです。
まあ、そんな話法律家に任せとけばいいじゃんといわれればそれまでなのですが。。。
ごく普通に考えて
「未成年の薬物使用」なら通報に値すると思うのですけど、そういうことが医療の現場では出来ない状況にあるということに驚きました。
子供の体を見て医師が「虐待のおそれあり」と判断して
通報するケースとは別の判断になるのでしょうか。