現在こちらは日曜日の夜を迎えている。
先週はとうとうノルマを果たせず週一回きりの更新となってしまった。
ここ数週間のあいだ、モノを書く意欲が減退気味である。ネタ切れということもあるだろうが、しかし、なんとなくそれだけではないような気もする。
昔、何度か日記をつけようと試みたことがあったが、いずれも大して長続きせずに終わった。であるから、このBLOGがこんなに長く(といっても高々半年にしか過ぎないが、、)続いていること自体、僕にとっては実は大変な記録だ。
ところで、僕のアパートの周辺はここへきて一気に秋の様相を深めつつある。すでに駐車場の脇の木々は鮮やかな赤や黄色に色づき始めているし、アパートの周りでいつもうろちょろしている野生のリスたちも、心なしか肥えてきて、冬眠の準備に取りかかっているように見える(そもそもリスって冬眠するのかどうかよく知らないのだが、、)。
池の周囲をガーガーと賑やかに行進していたカモの親子の姿もここ数日見なくなった。どこかより暖かいところへ住まいを移してしまったのだろうか。
そして何を隠そうこの僕も来月、テキサスに引越しをする。
カモの親子と同様に、暖かいところに移動しようというのである。
それにしても今更ながらではあるが、アメリカという国はいろんなものが“テンポラリー”であるという印象を受ける。
いろんな物や人がめまぐるしく入れ替わってゆく。僕の住んでいるアパートにしたって、いろんな人たちがしょっちゅう引っ越して来るかと思えば、それと同じペースで人が去ってゆく。
つまり流動性が高いのだ。人々は、仕事を変え、車を変え、住まいを変える。
変化は新たな流動性を生み出す原動力となりアメリカを支えているに違いない。
友人のヨーロッパ人はこう言った。
「アメリカは何もかもが流動的に変化しているように見える。昔から一貫して変わっていないものを見つけるのは難しい。だから自分はこの世界には長くはいられないと感じる」と。
長い歴史に支えられた一貫性と、不変であることに対する強い信頼を彼は口にした。
もちろん、アメリカにもヨーロッパにもいろんなものの考え方を持つ人々はいるのだろうが、それぞれの歩んできた歴史と、国家の成り立ちのなかで築き上げられてきた価値観には未だ大きな隔たりがあるように僕には感じられた。
先週はとうとうノルマを果たせず週一回きりの更新となってしまった。
ここ数週間のあいだ、モノを書く意欲が減退気味である。ネタ切れということもあるだろうが、しかし、なんとなくそれだけではないような気もする。
昔、何度か日記をつけようと試みたことがあったが、いずれも大して長続きせずに終わった。であるから、このBLOGがこんなに長く(といっても高々半年にしか過ぎないが、、)続いていること自体、僕にとっては実は大変な記録だ。
ところで、僕のアパートの周辺はここへきて一気に秋の様相を深めつつある。すでに駐車場の脇の木々は鮮やかな赤や黄色に色づき始めているし、アパートの周りでいつもうろちょろしている野生のリスたちも、心なしか肥えてきて、冬眠の準備に取りかかっているように見える(そもそもリスって冬眠するのかどうかよく知らないのだが、、)。
池の周囲をガーガーと賑やかに行進していたカモの親子の姿もここ数日見なくなった。どこかより暖かいところへ住まいを移してしまったのだろうか。
そして何を隠そうこの僕も来月、テキサスに引越しをする。
カモの親子と同様に、暖かいところに移動しようというのである。
それにしても今更ながらではあるが、アメリカという国はいろんなものが“テンポラリー”であるという印象を受ける。
いろんな物や人がめまぐるしく入れ替わってゆく。僕の住んでいるアパートにしたって、いろんな人たちがしょっちゅう引っ越して来るかと思えば、それと同じペースで人が去ってゆく。
つまり流動性が高いのだ。人々は、仕事を変え、車を変え、住まいを変える。
変化は新たな流動性を生み出す原動力となりアメリカを支えているに違いない。
友人のヨーロッパ人はこう言った。
「アメリカは何もかもが流動的に変化しているように見える。昔から一貫して変わっていないものを見つけるのは難しい。だから自分はこの世界には長くはいられないと感じる」と。
長い歴史に支えられた一貫性と、不変であることに対する強い信頼を彼は口にした。
もちろん、アメリカにもヨーロッパにもいろんなものの考え方を持つ人々はいるのだろうが、それぞれの歩んできた歴史と、国家の成り立ちのなかで築き上げられてきた価値観には未だ大きな隔たりがあるように僕には感じられた。
若さゆえ適応できる変遷なんでしょうね。
たぶん私は体がついていかないでしょう。
話は変わりますが、昔、「ブリキの太鼓」を見ました。正直いってよくわかりませんでっした。
でも、ドストエフスキーの「白痴」を想起したのを覚えています。
筋ちがいだったかも。
寒そうですが、お体、大切に。
今回のテーマで思い出したのは英会話の先生が「イギリス人やアメリカ人は同じところに10年以上勤めていたら、やる気がないと思われる。」と言っていたことです。
私自身も身の回りの閉塞感や停滞感などを感じないわけでもなく、そういったときにアメリカ人の流動性をうらやましく思ったりしてしまいます。
ブログなどでも同じペースで書き続けるなど、不可能に近いと思います。人間が生物であることの証ではないでしょうか。
来月からはテキサスですか、新天地でのご活躍を祈念いたしております。
それもテキサスまでなんだ・・・
遠いですね・・・
引越し自体が大変なのに、長距離はまたまた大変。
流動性って良くもあり
悪くもあり・・・
価値観が流動的っていうのが一番困る・・・
何が言いたいのか自分でもわからないので、
読書に戻ります・・・・
みなさんのコメントに一つ一つ返事を書いたのですが、
投稿しようとしたら全て消えてしまいました、、、、
もう一度同じモノを書く元気がありませんので、簡単に要約することにします。
1.“ブリキの太鼓”は大好き。僕もはじめて観たときはよくわかりませんでした。
2.ドストエフスキーの白痴。未読です。今度挑戦してみます。
3.日本人は基本的に定住志向の強い人が多いですよね。
以前、宮台真司がアメリカ人は流動性(収益性)を重 んじる民族で、日本人は多様性(共生)を重んじる民 族なのだと言ってました。なるほどと思いました。
4.僕は、高度な流動性を重んじる社会は苦手かも、、。
5.僕の引っ越すヒューストンの空港は別名ジョージ・ブ ッシュ空港と呼ばれています。
6.ヒューストンに行ったらあんまりブッシュの悪口を言 わないようにしないといけません。特に酒飲んだ時が 要注意!
以上です。