MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

十六の墓標

2012年12月13日 00時41分11秒 | 読書
永田洋子著「十六の墓標」を読了。

いままで、読書中にこれほど不愉快な気分にさせられた本はかつてない。
読み進むにつれ、あまりの惨たらしい記述に、しばしば嘔吐を催す。

永田洋子は、日本の新左翼活動家で、あの忌まわしき連合赤軍において中央委員会副委員長を務めた人物だ。
1972年2月に連合赤軍リーダーである森恒夫とともに逮捕され、死刑判決をうけるも、2011年に獄死した。

世の中的には、“あさま山荘事件”が有名だが、あれは、森、永田という連赤のリーダーたちが逮捕されたあと、追い詰められた残党どもが行き当たりばったりに引き起こしたものだ。実は、あさま山荘事件の前に、連合赤軍は山岳地帯に基地を設けて潜伏し、権力に対する武装蜂起に向けて軍事訓練をおこなっていた。その間に、いわゆる内ゲバにより、同志12人を全く理不尽な理由から次々と殺害した。

本書は、永田らの率いる革命左派グループと森らの率いる赤軍派グループの統合から、地下への潜伏活動、内ゲバ殺人、そして森、永田の逮捕に至るまでの経緯を詳細に記したもので、一応かたちの上では、永田洋子が、内ゲバ殺人を振り返り、総括したものであるということになっている。

しかし、多くのレビューアーが指摘するように、この本はほとんど何の総括にもなってはいない。
何故、これだけの人間が、これほど理不尽な理由で次々と嬲り殺されなければならなかったのか、何回読みなおしてみてもさっぱり理解できない。

しかも、これだけ凄惨な事件を起こしておきながら当の永田の語り口は余りにも淡々としており、彼女の述べる後悔の言葉はあまりに空虚で、全くこころに響かないのだ。

挙句、永田は一連の内ゲバ殺人の原因の一端が自らの盲目的な党派主義にあるとする一方、リーダーの森恒夫の官僚主義的な暴力的総括要求に逆らえる余地などなかったと、責任を一方的に森に転嫁しようとするのだ。
怒りを通り越して、ただただ唖然とするのみである。

ただもし、この本に何か一つ学びの端緒があるとしたら、それは永田を単なる狂人として憎悪することではなく、むしろ、自らの内に潜む“永田”的なものを自覚するところから始まるのではないかと感じる。

この本の前半はかなり冗長で、読み進むのにはかなりの根気がいる。
故・若松孝二監督の映画「実録・連合赤軍、あさま山荘への道程」に、この内ゲバ殺人の顛末が忠実に描かれているので、読書が苦手な方はそちらを参照されたい。

尚、本書は立花隆氏が、一度は読んでおくべき必読教養書100冊の中の1冊として推薦している。
曰く“思想に殉じることの危険性を知るべき”とのことである。
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