日本にいたときに比べると、こちらアメリカでの生活はある程度時間的余裕を許容してくれることもあり、多少腰を据えて本を読むことができます(とはいえ、依然眠りにつくまでの数時間に限られてはいますが、、)。
考えてみれば、折角ブログに“読書”というカテゴリーを設けているのに、ほとんど読書の話を書いたことがないことに気づきました。
そこで今日は、最近読んだある本の話をしようと思います。
日本のノーベル賞作家大江健三郎が世界の11人の知識人と交わした往復書簡を収めた「大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く」です。
思い起こせば高校時代にはじめて手にとった大江健三郎の本は、恥かしながら読解力の決定的に不足していた当時の僕には(今でもそうですが)小林秀雄同様かなり難しいものに感じられました。
大江文学の提示する深遠且つ崇高なテーマを扱った小説の多くは、疲れた仕事の合間に気休めとして読むものとしては絶対的に不向きです。その格調高い文体は決して読者に怠慢を許してはくれないのです。
しかし、この本は多少趣が違うといえます。往復書簡であるという性格上、普段堅苦しい文章ばかり書いているノーベル賞作家が、この本では比較的平易な文体で自由奔放に発言しています。そういう意味ではエッセイテイストの効いた気軽な読み物といえなくもないかもしれません。
今までの様々な言動から、揺るぎのない反戦論者として知られる大江ですが、この本の中では世界の知の巨人達と共に「暴力とは何か」「戦争とは何か」という問いについて真摯に、そして時に情熱的に語り合っています。
お互いが、手紙の相手に対するのと同時に、読者に対して発信するひとつひとつの言葉はまさに“言霊”と呼ぶに相応しい力強い響きがありました。
なかでも、スーザン・ソンタグとの対話には、多くの反戦論者の陥りがちな限りなくピュアな理想主義に対する戒めと、厳しく現実を見つめる眼差しを感じずにはおれませんでした。
アメリカを代表する反戦の論客として名を知られるソンタグが語る「すべての暴力がひとしく非難されるべきものではない。すべての戦争がひとしく不正なものではない」というNATO軍によるユーゴ空爆を支持した発言(一時世界の反戦活動家がこの発言に耳を疑いました)には、むしろ現実に対して断固として立ち向かおうとする強い決意をみる思いがします。
「善意があっても思慮深くとも、直接の体験の具体性にとって代わることはけっしてできません」という彼女の発言が示すとおり、ソンタグは実際に紛争地域に居住し、その中から様々な発言を行うことによって彼女自身の発言に限りないリアリティと説得力を与えているのです。
一方の大江は書簡の中で「私には具体的方策を提示することが出来ない」と前置きしつつも、しかし文学の果たすべき彼の考える役割についての堂々たる主張を展開しています。
文学は進むべき方向性を提示するものではなく、読者に対して、他者に対する徹底的な思考を迫るものであるという彼の意見に、僕は諸手を上げて賛同せざるを得ません。
実利主義が罷り通る現代社会の中で、一歩間違えばソンタグのいう低俗な理想主義に陥らぬとも限らない大江の一途な(皇国少年であった幼少期の記憶に基づく)発言は、ときにシニシズムの餌食となる可能性をも秘めながら、その一方で、安易なナショナリズムの勃興の引き金となる“忘却”という人類の営みに対しての彼なりの果敢なる挑戦に他ならないのだと僕は思います。
考えてみれば、折角ブログに“読書”というカテゴリーを設けているのに、ほとんど読書の話を書いたことがないことに気づきました。
そこで今日は、最近読んだある本の話をしようと思います。
日本のノーベル賞作家大江健三郎が世界の11人の知識人と交わした往復書簡を収めた「大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く」です。
思い起こせば高校時代にはじめて手にとった大江健三郎の本は、恥かしながら読解力の決定的に不足していた当時の僕には(今でもそうですが)小林秀雄同様かなり難しいものに感じられました。
大江文学の提示する深遠且つ崇高なテーマを扱った小説の多くは、疲れた仕事の合間に気休めとして読むものとしては絶対的に不向きです。その格調高い文体は決して読者に怠慢を許してはくれないのです。
しかし、この本は多少趣が違うといえます。往復書簡であるという性格上、普段堅苦しい文章ばかり書いているノーベル賞作家が、この本では比較的平易な文体で自由奔放に発言しています。そういう意味ではエッセイテイストの効いた気軽な読み物といえなくもないかもしれません。
今までの様々な言動から、揺るぎのない反戦論者として知られる大江ですが、この本の中では世界の知の巨人達と共に「暴力とは何か」「戦争とは何か」という問いについて真摯に、そして時に情熱的に語り合っています。
お互いが、手紙の相手に対するのと同時に、読者に対して発信するひとつひとつの言葉はまさに“言霊”と呼ぶに相応しい力強い響きがありました。
なかでも、スーザン・ソンタグとの対話には、多くの反戦論者の陥りがちな限りなくピュアな理想主義に対する戒めと、厳しく現実を見つめる眼差しを感じずにはおれませんでした。
アメリカを代表する反戦の論客として名を知られるソンタグが語る「すべての暴力がひとしく非難されるべきものではない。すべての戦争がひとしく不正なものではない」というNATO軍によるユーゴ空爆を支持した発言(一時世界の反戦活動家がこの発言に耳を疑いました)には、むしろ現実に対して断固として立ち向かおうとする強い決意をみる思いがします。
「善意があっても思慮深くとも、直接の体験の具体性にとって代わることはけっしてできません」という彼女の発言が示すとおり、ソンタグは実際に紛争地域に居住し、その中から様々な発言を行うことによって彼女自身の発言に限りないリアリティと説得力を与えているのです。
一方の大江は書簡の中で「私には具体的方策を提示することが出来ない」と前置きしつつも、しかし文学の果たすべき彼の考える役割についての堂々たる主張を展開しています。
文学は進むべき方向性を提示するものではなく、読者に対して、他者に対する徹底的な思考を迫るものであるという彼の意見に、僕は諸手を上げて賛同せざるを得ません。
実利主義が罷り通る現代社会の中で、一歩間違えばソンタグのいう低俗な理想主義に陥らぬとも限らない大江の一途な(皇国少年であった幼少期の記憶に基づく)発言は、ときにシニシズムの餌食となる可能性をも秘めながら、その一方で、安易なナショナリズムの勃興の引き金となる“忘却”という人類の営みに対しての彼なりの果敢なる挑戦に他ならないのだと僕は思います。
最近の作品、読んでないので
ノーベル賞の報を聞いた時には、ギョッとしたものんす。(~~;
前回のブログディススカッションの暴力を
抑えるための「力」ですが、文学にたいへんなパワーが秘められていること歴史が教えてくれます。
グーテンベルグによるドイツ語聖書の出版による農民の覚醒。アメリカンリヴォルーション、フランス革命時代の啓蒙諸作品の出版など著しいものがありました。
おそらく今のアメリカにも、こうした
人々の目を呼び覚ますような作品が一つ現われれば、事態一変となることでしょうネ。(^^)
そんな作家、思想家が今のアメリカにも
生まれつつあるのではないでしょうか。
是非、発掘して紹介してくださーい!
ところで、そんな啓蒙的作品ではありませんが「軍事侵攻の愚」を静かに描いた短編傑作に、日本軍のシベリア出兵をリアルに映し出した小豆島出身の作家、黒伝こと黒島伝二の作品群があります。日本軍がシベリア奥深く進むにつれ、それまでニュートラルだった
普通の人々が、連鎖反応的にパルチザン化し
ていく様子が、凄いです。
翻訳してマイケル・ムーアに読ましてやってください。きっと凄い映画を造るでしょう。
文学のパワーの存在を僕も信じたいと思います。
ところで、黒島伝二という作家の名は、はじめて聞きました。気になったのでアマゾンで検索してみたのですがヒットせず。いくつかの検索エンジンで探ってみたところ、ほんの数件ヒットしたものの、どういう人物なのかというところまでは分かりませんでした。
また、いくつかの日本の古本屋のサイトにも行ってみましたがやはりヒットせず、、、
この作家はかなりマイナーなのでしょうか、、、
今、手に入るものがもしあったら教えてください。
ちなみに、サイトをチェックしていておもしろい古本屋さんを発見しました。一見真面目なサイトのようですが、読んでいて結構うけちゃいました。この感嘆符の多さはただ事ではありません。
暇な人は行ってみてください。
http://home.interlink.or.jp/~5c33q4rw/
最近ではあまり知られていない作家のようです。
私はシベリア出兵について調べているうち、偶然その作品を見つけ、驚愕しました。
他国に侵略された場合の普遍的な出来事を描写していると思います。
文章は実に簡潔で読みやすく、読んでいていつの間にか頭の中に、映像が浮かび上がるようなリアルさです。(映画化に向いている。)
兵士としての体験を描写したもので、リアリズム作家のカテゴリーに入っています。
戦時中は、どうしたわけか、あまり弾圧されなかったようです。
もし今、健在だったら、間違いなくノーベル文学賞か平和賞をもらったろうと思います。
岩波文庫、小学館『昭和文学全集』などに入ってるので、そちらの大学にもあることでしょう。短編で読みやすいのでどうぞ。
*ところで、>「シニシズムの餌食となる」って、具体的にどういうことでしょうか?
わざわざ、訂正ありがとうございました。
黒島伝治でしたか、、わかりました。チェックしてみます。
>>ところで、>「シニシズムの餌食となる」って、具体的にどういうことでしょうか?
えーと、僕が言いたかったのは
大江をはじめとする、まじめに平和を訴える人々を、「夢想家」「理想主義者」などと侮蔑をこめて嘲笑する雰囲気が今の世の中には蔓延しているということです。
他人のために献身的に活動すること自体が「偽善」である、という切って捨てたような物言いが今の日本社会には目立つような気がします。
そのような物言いの中には、いわゆるシニシズムと通底する思考が潜んでいるのではないかと僕には感じられるのです。
そうした風潮、バブル崩壊後、特に目立つようにな気がします。足を引っ張るのが、増えた。
戦争の目撃者としては、それを伝えるのが当たり前と思うのですが、見てない人は、実感できないのでしょうか。
それにしても本と違って、現代の活字の世界のインタラクティブ性、素晴らしいです。グーテンベルク以来の新しい転回の可能性を感じます。有難うございました。
*今日そちらは、9.11。そちらの反戦論など紹介していただけないでしょうか。
日本では、殆ど紹介されてません。 オネダリします。
(私もNYにいた時、WTC二階の書店によく行きました。サラリーマンのオアシスでしたが... )
こちらアメリカでは、9・11追悼集会が各地で行われました。
ブッシュはワシントンで、ケリーはボストンでそれぞれ集会に参加し、テロとの戦いをあらためて宣言しました。
基本的に、この特別な日に真っ向から反戦を唱えるのはかなり勇気がいる行為だと思われます。おかげで主要メディア等を見る限り「我々は、今まで以上に団結してゆかねばならない」といったようなナショナリズムを煽る報道がどうしても目立っていたような気がします。
pearl harborならぬRemember 9/11といった感じなのでしょう。
そうそう、そういえばネット図書館というのを発見しました。そこで黒島伝治の作品もいくつか読むことが出来ます。さっそくいくつか読ませていただきましたが、たしかにリアルな作風ですね。シベリアの異様な光景が淡々と描かれていて妙に臨場感がありました。
黒島伝治以外にもいろんな作家の作品が公開されています(もちろん無料です)ので、皆さんも、気が向いたら御活用ください。ただし、活字は紙の上に印刷されたものじゃないと、、という方には向かないかもしれませんが、、
http://www.aozora.gr.jp/index.html