MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

体感不安

2004年05月12日 12時43分28秒 | アメリカ
最近、いろんな人のブログを眺めていてふと思った。

“俺のブログってヘヴィーだなー”

他の人のは軽いタッチのものが多い。というよりほとんどそうだ。
写真などを多用したり、カラフルだったりしてとても見やすくて読みやすいものが多い。
読んでて笑えるものも多い。

それにひきかえ自分のは、なんだか自己陶酔型とでもいうのか
なんだか軽妙さに欠けているような気がする。

“俺って普段何考えながら生きてんだろう?”
と思ってしまう。

昔から思考が発散しないと言うか、ベクトルが内向きというか、
まあそんな感じなのだが、
最近では“所詮こんな人間なんだからしょうがないか、、”と半分納得していたりもする。

ところで、昨日新聞を読んでいたら
アメリカ国内でこの3-4ヶ月の間に、悪意を煽るようなサイトが約30パーセントも増加したという記事があった。
悪意を煽るようなサイトとは例えば人種差別を奨励するものであったり、反イスラムを訴えるものであったり、戦争を肯定し讃美するものであったりするそうだが、
こんなサイトがここへきて急増している理由はなんなのだろう。

最近、アメリカに限らず日本国内においてもこれとよく似た雰囲気が生まれつつあるような気がする。
漠然とした“異質なもの”への畏怖、あるいは実体のない不安がその根底にあるように思う。
犯罪が増加しているなどという話しを聞くたびに知らず知らずのうちに外国人犯罪を思い浮かべてしまう。徹底した治安維持を望む声が大きくなり、町中に監視カメラがあふれ返る。

何を隠そう私の実家がある石川県金沢市の繁華街である片町は、日本一監視カメラの数が多いのだ! 
これを聞いたときは正直笑ってしまった。

歌舞伎町よりカメラ増やしてどうするよ、、

“体感不安”という言葉がある。
実際の犯罪率等には目に見える上昇がないのに、なんとなく住民に不安感が高まっているのだという。
“もっともっともっと厳しく取り締まってもらわないと不安で夜も眠れませんよ”
“殺人者は死刑、少年犯罪人もみんな死刑!”
“ついでにそいつの両親も親戚もみんな死刑!”
みたいな、、なんだか空恐ろしい気がしてならない。

まさに、今のアメリカの状況とおんなじではないか?

アメリカでは先日、警官に唾を吐きかけた黒人の男が終身刑になった。
ビデオデッキを盗んだ黒人の男が終身刑になった。
前者はHIV陽性だったという理由で、後者は麻薬使用歴があったという理由でだ。
カリフォルニア州では25歳以下の黒人男性の20%が現在刑務所に入れられている。
白人が人を殺しても4年で出所するが、黒人は自動車を盗んでも4年では出られない。
もちろん金を持ってるやつは別だ。
金さえつめばO. J. Simpsonみたいに奥さん殺しても無罪放免だ。

あーいやだいやだ。
なんという世界だろうか、、。

といってるうちに、またへヴィーな話題になってしまったので
今日はこのぐらいでやめておくことにする。
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7 コメント

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不安 (ダイアン)
2004-05-12 13:13:04
自己の確立と不安感って関連しているのかな

と思ったりするんですよね。

セルフイメージがどのくらい健全かって事が

問題の中に随分あるんじゃないかなぁ。

返信する
うーん、深いですね (kazu-n)
2004-05-12 13:49:12
真昼間からへヴィーな話題ですみません。

なんせこっちは今、夜中なもので、、



ちなみに、

“自己の確立と不安感が関連してる”ってちょっと難しい表現ですね。



自分をしっかり持ててない人間が不安を感じやすいということでしょうか。



自分なりにその意味を解釈すると、



異質なものを排除したくなるのは、自分が異質じゃないと確信してるからで、

周りはみんな自分の仲間で、自分の立場は安泰だっていう驕りがあるからこそ排他的になれる。

で、そのようなことは自分が一人の独立した個々の人間だという自立性を放棄しているからこそ起こりうる。

という感じでしょうか?
返信する
そうですねぇ (ダイアン)
2004-05-12 14:35:43
私が思うのは、相対的な観念の中で

自己を確立するっていうのは難しいんじゃないかなって事なんですわ。相対的だってことは

確立するものもその時点から相対的でしょ?

そうすれば不安になるだろうし、

相対性のあるもの、つまり、自分を取り巻く環境が、絶対的基準が見えないまま、変化しつづけるなら、それはますます不安を掻き立てるかなと・・・。



そうすると、相対的なので、どうしても、相手より優位に立つことを通して、セルフイメージを高めようとするんじゃないかなぁ・・・と。



あくまでも推測なんで・・・。



クリスチャンだからそう考えるのかもしれませんね・・・・。

返信する
Blogの内容は・・・ (Pow on !)
2004-05-12 19:31:55
人それぞれで良いのでは、と。

好みのBlogに人が集まって、気軽に会話を交わす、

ということで・・・時に内容が重くてもいいのでは

ないでしょうか。

自分の趣味について検索していくつかBlogを覗いて

見ましたが、数ヶ月ほぼコメントなし、という

ところが多いようで・・・

コメントが非常に多いBlogとは、

例えばどんなところなんでしょうか。



キリスト教については、無宗教なありがち日本人故

詳しく分かりませんが・・・

変化しない、絶対的な存在としての神があれば、

それを基準に自己を相対化でき、その結果、

自己を確立しやすくなる、ということなので

しょうか?
返信する
なるほど (kazu-n)
2004-05-12 22:44:37
なんとなく理解できました。

Pow on!さんもおっしゃるように

たしかに神と言う存在は特にキリスト教などにおいては絶対的な意味をもっているんですよね。



こっちで出会った敬虔なクリスチャンの方々がみなとてもやさしいのはそういう心の強さをもってるからなのでしょうね。



僕も、無宗教な人間ですけど

宗教と人間の関係についてはとても興味があります。



ただなんとなく不思議に思うことがあります。



以前マイケルムーアのインタビューを見ていたときのことです。

彼がなぜ今のように社会運動に参加するようになったのかという話になって、

そのときに彼がこう言っていたんです。

「幼い頃、教会に行った帰りにキング牧師の射殺のニュースがながれたんだ。そのとき、周りにいた教会関係者がいっせいに喚起の声をあげたのを今でもよーく覚えているよ。それ以来社会に対する考え方が変わったんだ」と。



うーん、こういうのってどう考えればいいのでしょうか?



ごめんなさい、別に深い意味はないんですけど

無宗教な人間のたわごとだと思って許してください。

なんとなく、書いてるうちに思い出しちゃったもので、、
返信する
このようにも考えられます。 (藤井宏明)
2004-05-14 01:05:10
聖職者、敬虔な信者といえども人間である以上、弱さや罪深さから逃れられないのだと思います。
返信する
確かに (kazu-n)
2004-05-14 01:46:39
問題はそこですね。

ということは、神という存在に対して自分がどこまでコミットできるかってことが重要なのでしょうか?



つまり、心の底から本当に“神は存在するのだ”という、頭での“理解”ではなく“感情”レベルでのコミットメントの問題だということでしょうか?



うーん、なんて言っていいのかよくわかりませんが、、
返信する

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