明海大学大学院応用言語学研究科

Meikai Graduate School of Applied Linguistics

大津由紀雄教授の講演会【後日記あり】

2013年06月14日 | 学会、セミナー、講座の参会記

昨日、明海大学に専任教授として着任なさいました大津教授の講演会がございました。夕刻18時からとという少々遅い開始ではございましたが、多くの方がいらっしゃっていました。明海大学の先生方もいらっしゃいました。おそらく原口教授も天国からご覧になっていたのではないでしょうか。

 御講演の内容は、「ご経歴」「ことばへの関心」「ご研究内容」「言語教育について」「明海大学でやりたいこと」でございました。それぞれのセクションで非常に興味深いお話をしてくださいました。以下、大津教授のご意見とわたくしが考えたことを思うままに述べてまいります。

《「言語教育」について》 
 大津教授は小学校の英語教育には反対の立場をとっていらっしゃいます。「小学生から英語を勉強させるのではなく、母語である日本語をしっかり学ばせてから、それを中学校の英語教育に生かすことが必要である」とおっしゃっていました。その上で、興味深い短い動画を3本拝見致しましたが、そこでご指摘になったことが「気づき」です。大津教授は、この「気づき」が教育には大切だ(私が聞き漏らしたのかもしれませんが、はっきりと英語教育、母語教育というようにはおっしゃっていなかったように思います)ということを述べられました。

 私も大津教授と同じ意見でございます。L1、L2を問わず、言語に長けている人(もちろん、何を持って長けているかということを定義しないといけないのですが)は、実に自分の言語に対して敏感であると感じることが多々あります。例えば、実生活においての日常会話でもそうですし、アカデミックな場においてのテストでも、「気づき」を持っている人というのは、上手に言語を使っているように思います。ひょっとすると、日常生活であれ、アカデミックな場であれ、自分をモニタリングしているかのような、メタのレベルで自分と自分の言語を認知しているのかもしれません。だからこそ、会話における自己修正が可能であったり、出題者の意図を読めたりするのでしょう。
 
《大学の「学」とは?》
 もう一つ、明海大学の石黒先生がなさったご質問、「大学の『学』とは何でしょうか」に対する大津教授のご回答は、「学が何であるかはあまり重要ではない。好奇心や探求心を持って、自分で考える」というものでした。確かにおっしゃる通りだと思います。もし世の中に大多数の皆が走る「人生のレール」というものがあるとするのであれば、私は大きく"脱線"しています。妻子がいるのに、会社を辞め、我が儘で大学院に入学しているからです。では、なぜ大学院に入学したのかと言えば、山岸教授の下で辞書学、対照言語学を"追求"したいと思ったからに他なりません。ですから、私の人生の選択というのは、大津教授のご意見に沿うものであると思うわけです。私は山岸教授のTAを務めておりますゆえ、多くの学部生を見る機会があります。残念ですが、大学に「大学卒」の肩書きを取りに来ている学生も見受けられます。大津教授が昨日お話になりましたが、それは実際問題として仕方ないでしょう。大学卒業という肩書きがあることで、就職の機会が増えることは事実であります(それが良いか悪いかは別として)。しかし、本来は、好奇心と探求心を持った人が来るところが大学ではないでしょうか。それが純粋、且つ、本質の動機であると思います。

 また石黒先生のご質問を通して、ことばの「定義」ということも考えました。いつどこでだれが「学問」という言葉を生み出したのかは分かりませんが、本来はおそらくなかったものでしょう。人間のいわば本能的欲求である好奇心や探求心がいつの間にか「学問」という語でひとくくりにされてしまったのではないでしょうか。ことばは時に便利です。なぜなら、言葉には「分節」の機能があるからです。例えば、夜空にたくさんの星が光っているのを見たときに、個々の星の名前が分からなかったら、「たくさんの星が光っている」という認知しかできないわけです。個々の星の名前(「北極星」「シリウス」「アンタレス」など)を知っていれば、個としてそれぞれの星を認識できるわけです。
 しかし、時に「定義」は私たちを惑わせると言いましょうか、マイナスの部分もあるわけです。そのことに、大津先生は、応用言語学特論の第1回の講義で、気づかせてくださいました。その定義を鵜呑みにせず、自分の頭で考えなさいという、研究者として根本的なことを教えてくださったのです。

 昨日の御講演は予定を10分過ぎてのお開きとなりました。参加されたどの方にとりましても貴重なお時間であったと思います。特に学部生と院生にとっては多くのことを学んだ2時間10分ではなかったでしょうか。もちろん、2時間10分の内容(大津教授が「紅白歌合戦の司会をなさりたかった」ということも含めます。なぜなら、「なぜ」が必要だからです)をしっかり捉えて、消化し、自分で考えるということをすればの話ですが(私も含めて)。

 中には福島福岡からお越しになった方もいらっしゃいました。明海大学からしてみると非常にありがたいことだと思います。

 というようなことを、帰宅後、お腹が空いて泣いている我が子を抱き、ミルクをあげながら考えておりました。

 大津教授、昨日はまことにありがとうございました。来週のご講義でも多くのことを学ばせていただきます。

 【大塚孝一 M1】

 

【後日記】

 大津教授が「新浦安日記」にて、上掲の記事を取り上げてくださいました。また、「福島」と記したことへのご指摘につきましては、該当箇所を「福岡」に訂正を致しました。さらに、あたたかい励ましのお言葉も頂戴致しました。前述の三点につきまして、心より感謝を申し上げます。ご期待に添えるよう、できるだけ多くのことを発信してまいります。

 そして、福岡からお越しになった方には、お詫びして訂正致します。遠路よりはるばるお越しくださり、ご都合をつけるのがさぞかしご苦労があったかとは存じます。明海大学の一院生としましては、嬉しい限りでございます。これも何かのご縁ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。


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