皆様、はじめまして。応用言語学研究科M1の秋山裕耶(あきやまひろや)と申します。応用言語学研究科に在籍しておりますが研究分野は理論言語学の意味論です。研究テーマは二重(多重)コピュラ文における意味論的制約です。現在主査の西山佑司教授にご指導いただきながら研究を進めております。お分かりかとは思いますが日本人ですので国の紹介は必要ないと思いますので、最初から自分の研究テーマに関わることを取り上げたいと思います。
私の研究テーマとなっているのは二重コピュラ文に関するものです。そもそもコピュラ文とはなにかと申しますと日本語の場合は、
「AはBだ」
「AがBだ」
で表される名詞文のことをいいます。それを踏まえた上で二重コピュラ文とは、
「AはBがCだ」
「AがBがCだ」
で表される文のことをいいます。例えば、「太郎は出身地が広島県だ」の様な文です。但し、全ての「AはBがCだ」が二重コピュラ文かと問われればそうでないのもあります。しかし、二重コピュラ文の基礎には当然コピュラ文がありますので、まずは次回からコピュラ文の意味構造を取り上げたいと思います。
「安倍晋三は日本の総理大臣だ」
「人間失格の作者は太宰治だ」
上記の二つの文は共に「AはBだ」という構造をしておりますが、その意味構造には違いがあります。ご興味のある方は考えてみてください。【秋山裕耶 M1】
コメントありがとうございます。
「意味構造」については説明がいりますね。もしくは使わない方が分かり易かったかもしれません。いずれにせよ次回以降でその二つの文がどう違うかがはっきりお分かり頂けるかと思います。
しかし、ジョーさんはさすがと申しますかかなりいい線を行っています。それを感覚ではなく理論的に説明出来ると他の様々なタイプの文に生かすことができます。
これからもなるだけ分かりやすく書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
コメントありがとうございました。
大変興味深く拝読させていただきました。
まず「意味構造」はどういうことを指すかはよくわかりませんが、僕が考えたのは:
「安倍晋三は日本の総理大臣だ」 <--この文は主語の属性を述べている。つまり阿部という人の存在が話し手と聞き手のお互いの知識であって、話し手が新たに貢献するのは阿部という人物の属性です。
「人間失格の作者は太宰治だ」<--この文は主語の属性ではなく、具体的なものを「指示」している。いわやる"referential meaning" (日本語は指示的意味でいいのかな?)
つまりお互いの知識は総理大臣という職があることであって、話し手が新たの貢献するのはその職を勤めている人物の指示です。
そしてどちらもNPの順番を変えれば同じ意味になると思います。
以上は私の考えですが、「意味構造」はこんなことを指しているでしょうか。