川勝静岡県知事が、職業差別発言。で、6月で辞職する旨。
一応貼っておく。
で、職業差別発言は撤回せず。この現象から、僕の頭に湧いてきたのは、よくわからないのだが、彼が元々大学教授であったとの事実から想起する大学教員の放漫さ、成績がいいということを自尊心とする輩の姿である。
そもそも学者というのは、現代社会において、世間に認められているのかといえば、実はマージナルな存在だ。一応学者ということで、世間一般からは頭がいい人という印象であるが、さりとて有名であるわけではない。
それでいて、プライドだけは持っている。いや見栄を張る、そういう意識を隠しながら、それに固執する。そんな感じである。まあ僕が知っている、見てきた学者はそういうものだ。すごく名誉心を抱えている。
だから政府顧問になったり、文化勲章とか、大学名誉教授とか、そういう名声を求めている。そういう名声の一つに政治家があると思う。だから彼が求めたのは政治家という名誉である。そんなことを想起してしまった。まあこのような推測が正しいか否かはどうでもいい。
大学教授から知事に転身することは、こういう名誉欲からの行動であるにしても、名誉欲ではなく、「自分の考える理想を実現するため」「故郷を思って」「日本を憂慮して」と美辞麗句で飾るという傾向だ。一応断っておくが、傾向であるから、真の政治家が存在するのであれば、美辞麗句ではない。
で、今回のことに関していえば、「野菜売ったり」「牛の世話したり」を下に見ているのである。県庁職員をシンクタンクに喩えて、「頭脳・知性の高い方」という世間的評価を鵜呑みにしているだけで、それを口にしては外品であるが、職業差別発言を撤回しないことで、下品さを外に出さないようにしただけである。まあそもそも世間的評価を対象化し反省的思考がないということが、本当の意味で学者であるだろうか。知識人であるだろうか。
でも、当然わかる。こういうのを要領がいいとか、機を見るに敏、そういう人物なのである。
人間の根幹は「野菜作ったり」「牛の世話したり」の方にあることに気づくがいい。