Drマサ非公認ブログ

続 客観報道などない

 ジャニーズがNGリストに関わっていたとかいないとか、そんな報道が続いている。

 そうすると、何が真実なのか?という焦点に向かう。ところで報道における真実とは何だろうか?全てがある立場からの真実であるとしたら、真実などというものは虚空である。ここでは事実と真実を分けているのだが、事実自体をどのように見つけ出すことができるかというと、これまた難しい。

 だから、報道とは須らく宣伝行為、PR行為とみなした方が良いと思う。NGリストにジャニーズ自体が関わっていたか否かという事実を明らかにしようとしても、ある人物が「ジャニーズの意向」と言っても、他の人が「ジャニーズの意向ではなく・・・」とやられたり、「意向」の内容自体を問うと空白が生じたり、反対意見が出て来たりしてしまう。

 ゆえに、どのような報道も先に言ったように宣伝行為、PRである。なぜならマス・メディアとは、物事の本質やな中身を知らない大衆に対して行うという意味で、常に大衆操作的であり、扇動と宣伝であるから。

 ここでヒトラーやナチズムを持ち出す必要さえないが、マス・メディアの時代にあって、権力を保持するためには宣伝なのだ。ヒトラーは宣伝が世界制覇の可能性を高めるという趣旨の発言をしている。だからこそ、マス・メディアの言説に対して、我々は気をつけねばならない、そう第二次世界大戦で学んだのである。

 ただ、そういう学びをしている者がどれだけいるのか、心配なところだ。

 宣伝とは、大衆のために用いられる言語活動である。新聞もラジオもそうである。そしてテレビ時代。まさに宣伝、あるいはPR第一の世界になって来たではないか。テレビやネットになってくると、活字ではなく、映像というメディアになるから、見事に大衆的メディア全盛、そういう気がする。

 そういう世界で生きて来て、自己や会社を宣伝し、常にPRすることを身につけているというか、そういう身体所作しかできなくなっている有名人、芸能人が、つまり今回でいうとジャニーズが、無意識的にファンを対象とし、そしてその後ろに控えている大衆に対して、操作的に自分たちの立場を擁護してしまう言説を立ち上げるのは必然である。

 だから、NGリスト云々との話は、自動的にジャニーズの大衆操作であると考えた方が、メディアの時代において当然であろう。

 なぜなら、「NGリストに関係がない」との宣伝は、真実を述べるのではなく、「NGリストに関係はない」という立場にたった方が都合のいい人や組織ににとって、信じたい言説であったり、これまでの権力に使えている者にとって(トートロジーだが)都合がいいからである。

 真実を追求すると、ジャニーズよりの言説は肥大し、エコーチェンバーが起きてしまう。とうか、とっくに起きているだろう。主要メディアはジャニーズの言い分を流し続けているではないか。

 いまだジャニーズは大衆操作をしようとしている。それだけのことだ。

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