ちょっと前、ナショナリズムを人間にとって自然な感情だという人がいたので、「それは違う」という話をしたことがある。
なんか思い出したので、その時の話を。
どうして、そういう話になったかというと、差別的な発言があって、「日本民族は・・・」なんて言われたのがきっかけであったと思う。細かいことは忘れた。
ナショナリズムとは、政治的な単位と民族的な単位が一致しなければならないと主張する政治的立場である。例えば、ある国にA民族とB民族が混在している時、2つの民族的対立を止揚して、国民に統一する、そうすることが正しいとの立場である。
しかしながら、民族的対立、ほか人種的、性差的、年齢的etc対立が生じるのが当然である。その時、それら対立を構成する主体の社会的属性に無関係に国民に収斂するのが正しいとする。それがナショナリズムである。
ところが、差別のため、優勢な民族などが自分たちのみ国民であるかのような立場を取るため、劣勢な民族などが政治的にも文化的にも下位に置かれるだけではなく、排除される。そのため正しくナショナリズムを実行するためには、差別はなくさなければならない。
ある国家において、特定民族が権力を握り、その特定民族から他の民族が切り離されてはいけないのである。
日本は単一民族であると考えてきた長い歴史がある。しかし実際には、そうではない。アイヌの人々、沖縄の人々、在日朝鮮人、そして最近では世界中から人々がやってきて、日本人になっている。そして、単一民族であるとする政治が、あるいは文化が彼らを劣位に置き、排除してきた。ナショナリズムは、そのような劣位の構築、排除をしてはいけないということである。
日本で声高に「日本は・・」「日本人は・・」という人がいるが、そのような人こそナショナリズムの否定をしていることになる。保守や右翼がナショナリズムを肯定的に主張するが、保守や右翼には関係がない。いいナショナリズムと悪いナショナリズムがるわけではない。ナショナリズムはナショナリズムである。だから、穏健なナショナリズムもない。
その意味で、国家において差別は許されないことになる。そして、重要なのは、このようなナショナリズムが生み出されたのは、近代以降、特にフランス革命とナポレオンの時である。そのため、ナショナリズムはもっと複雑な観念となってしまっているが、そのことに気づかないでいるのではないだろうか。
ナショナリズムは、近代社会が発明した代物だ。