なんとなくテレビを付けていた。厚切りジェイソンが出ていて、投資の重要性を語っていた。企業の投資ではなく、個人の投資について。
生きていく上で大切なこととして、個人の投資がある、そういう思想が広げられているんだと思っていたが、そういうテイストの番組だ。まあ金がある奴が投資するだけではなく、普通に生活する人々も、生きていくためには投資を上手くやらなければと。
普通に働けば、普通に生活に困ることのない社会にしたらいいと思う僕にとって、金融工学は家庭の課題として出て来る必要もないと思うが、社会は個人も金融工学を教養として身につけるべき、そんなメッセージを発する。出演していた若い女性タレントがそんな趣旨の発言をしていた。台本どおりの発言なんだろうけど、こういう姿勢こそ「よくできました」と褒められる。
子供達の教育にも導入されるのか、すでにされているのかは、詳らかではないが、社会はそういう方向を向いている。それが賢いってことになっていくんだろう。ゲンナリだ。
なんていうか、話があべこべだ。教育っていのは、お金以上に大切なものがあることを大人が伝えることでしょう。それが価値。ここで僕が言っている価値というのは、プラトン以来の「よく生きること」である。金や名誉のことばかり考えて、よく生きること、魂のことを考えないでどうする。
社会の現実は、社会の現実を生きると、自ずから学んでいく。そこで金融工学が浸透していれば、それを学んでいく。しかしながら、もっと学ぶべきことがあるのは当たり前すぎる。子どもは子供のうちにしか学べないことがある。森でも走り回って、そこに人間が作ったのではない自然と接すれば、自然と人間の関係を自ずと学ぶ。それが考えることである。考える、つまり「かむかう」はものごとと知り合って、身をもって知ること。
そういう考えること、正確に思考する仕方を身につけること、これが人間にとって大切なことだ。まあ哲学のようなものだが、いちいち哲学などと命名する必要もなかろう。「考える」で十分だ。生きることはどういうことか、自然とはなんであるのか、自分が自分であるとはどういうことか・・・・・。こんな問いが勝手に生じる。
これら延長線上に、お金とはなんであるのかという問いもある。それだというのに、この問いを抜きにして、先にお金が大事とか、投資が大事とか教えるとすれば、考える順番があべこべだ。
でも、こんなことを誰かに言ったって、なんだか余り通じないのだが。意識することもなく、いつの間にか、投資が大事という考えが組み込まれて、社会は変わってしまい、「考える」ことのない社会に進んでいくように思うし、すでに失われつつある社会の基盤である文化伝統は衰退していくのだろう。
虚空に言葉を投げかけ続ける。