最近は論語を学んだり、古文をきちんと読みたくて、高校の古文の勉強を始めてみた。暇ですね。
さて、論語に次のような言葉があった。紹介してみたい。
天下有道則見。無道則隱。邦有道。貧且賤焉。恥也。邦無道。富且貴焉。恥也。
訳はこんな感じです。「天下に道が行なわれている時には、出でて働け。通がすたれている時には、退いて身を守れ。国に道が行なわれていて、貧賤であるのは恥だ。国に道が行なわれないで、富貴であるのも恥だ」(下村湖人『現代訳論語』)https://kanbun.info/keibu/rongo0813.html
この文章の前には、学問が大切であることをが説かれている。
そこで日本の現状を重ねてみる。正しい政治が行われていれば、よく働きなさいということだが、正しい政治が行われていないので、自分を守るしかないと。
国家・政治が正しいことを行なっているのに、貧しいこと卑しいことは恥である。そして同様国家・政治が正しいことを行なっていないのに、富を誇り地位が高いことは恥である。
論語は難しいわけではない。ところが、難しいというイメージが先行しており、人々の生き方の最も基本的な事実を書いているだけのように思う。
先の文章を日本の現状に重ねてみると、2つの問いを有することになる。
1つは、正しい国家・政治でしょうか?
2つには、今富を誇り地位が高いことは恥ではないでしょうか?
1つ目の問いは簡単に答えが出る。2つの問いは、1つ目の問いを経由しないと答えが出せないのだが、大抵は1つ目の問いを為さないところで、答えを探すことになる。
そうすると、2つ目の問いは短絡化した答えを導く。個人の力で「富且貴焉」となると思っている。そういう人を作り出す。
考えていくという行為には、こういう事実を見るためのプロセスが必要になる。