ストロング小林んが亡くなった。享年81であった。
インタビューに答えていた本を読んだばかりであった。青梅の実家であったが、あの猪木さんとの「昭和の巌流島」の試合の交渉も、ここであった。本当に家族を大切にする人物という印象だ。
写真は東スポからだが、新日本プロレスの安定をどうにかもたらした時期のものだ。
何と言っても74年の「昭和の巌流島」対アントニオ猪木戦が脳裏に浮かぶが、当時国際プロレスのエースであったわけで、新日本プロレスのテレ朝放送以上に、国際プロレスのTBS放送の方が強かったのではないかと思う。僕の地元北海道では国際プロレスの放送はなかったが、全国区的な人気を持っていたように思う。
だからこそ、猪木さんとの対戦は「力道山ー木村」以来の大物日本人対決として注目を浴びたのだろう。
彼はおとなしいとの人物評であるが、国際プロレスのエースであり、猪木と対戦後に米国NYでメインを張ったということ。そして2度目の猪木の対戦で、猪木をリードして試合を作ったと言っていたところ、プロレスラーとしてのプライドを感じる。
ご冥福を祈る。
PS プロレスのことをブログで書く時、死去のニュースからというのものになってしまうのが、なんだか物悲しい思い出ある。