Drマサ非公認ブログ

松本人志と日本社会

 松本人志の性加害でPTSDになっているとの報道。

 PTSDはPost Traumatic Stress Disorderの略。命を脅かすようなトラウマの問題。そういう深刻な問題であるが、その深刻さを理解しているのかどうか、「命が脅かされた」のである。そういう問題。

 加害者側は「命を脅かした」とさえ想像する力がないのだろう。これは性に関する異常なまでの固執、強迫神経症的なのであろう。そこまでして、性的な満足を得ようとすることであるから、常軌を逸している。

 だから被害者側は「女性の尊厳」という言葉を紡ぎ出しているのである。「女性の」というが、当然「人間の尊厳」であり、男女間の権力差に伴う現象であるから「女性の」という言い方になる。

 その昔、アメリカ文明を称して、ニューヨークの摩天楼が屹立する男性器に見えるという識者がいた(誰だったか失念)。摩天楼というのは、いまは言わないぐらい自明になっているのだが、男性社会が作り上げた欲望の象徴のようである。

 筋肉を付け、男性性を強調することにつながるのではないかと考えるとしたら穿ち過ぎだろうか。考えたら、筋肉への志向は日本でも強くなっている。日本はアメリカ文化を取り入れていく傾向が強いが、その表れだろうか、そんな気もしてくる。松本の筋肉への志向も同じなのだろうか。これも穿ち過ぎだろうか。強いこと、権力志向、そのまま反省的思考もないまま、欲望の実現に短絡化する、愚かである。

 そもそも性は人間の根本である。例えば、思春期に異性に惹かれ近付こうとする。とはいえ、簡単に近ずけない。だから仲良くなったりすることに時間をかけたり、交際したりという時間が必要になる。性的関係、特に肉体的関係は関係性の構築の上構築される。

 そうだとしても、失恋したり、振られたりすれば、人の心は傷つく。その傷を持ち合わせながら、あるいは隠しながら、忘れながら、人は生きていく。とはいえ、無意識には残存する。

 性はそうやって人を傷つける。だからこそ、性は大切なのである。それらを思い出として昇華できることは幸運なのであり、何十年たっても、あの不幸な思いは抱えられてしまう。なんてこともない失恋だとしても。

 だから、関係性抜きにして、関係性の構築への時間を抜きにして、有名性にかまけて、欲望を実現しようとすること、すなわち、人の心を傷つける。それがトラウマ。人は当然生き難い。法律がどうのこうのということとは異次元に、間違いなく罪である。

 

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